2022.03.10
with a camera in Nishiaizu Town 3-1
『ゴジてれChu!』木曜恒例「ぶらカメ」のコーナー、今回は西会津町にお邪魔しました。「ぶらカメ」でお邪魔するのは、これが3回目です。
一昨年(2020年)秋に訪れた時のエピソードは、こちらをクリック。
3年前(2019年)春に訪れた時の、とってもアドベンチャーなエピソードは、こちらをクリック。
西会津町は福島県の北西部、面積約298平方キロ、人口5800人余で、新潟県阿賀町に接するいわば「会津の西側の玄関口」です。桐の生産が盛んで(町の木も「桐」です)、健康志向の町で土壌に拘って作ったミネラル野菜のほか、車麩なども有名です。
一昨年(2020年)秋に訪れた時のエピソードは、こちらをクリック。
3年前(2019年)春に訪れた時の、とってもアドベンチャーなエピソードは、こちらをクリック。
西会津町は福島県の北西部、面積約298平方キロ、人口5800人余で、新潟県阿賀町に接するいわば「会津の西側の玄関口」です。桐の生産が盛んで(町の木も「桐」です)、健康志向の町で土壌に拘って作ったミネラル野菜のほか、車麩なども有名です。
西会津町。ロケをした3月5日も雪が田畑を覆っていた。 |
蔵など、昭和の懐かしい風景が残る。 |
新潟とを結ぶ越後街道沿い(県道339号)をぶらぶらカメラを持って歩いていると、屋号が書かれた札が軒先に下げられているのが目につきます。これはどういうものでしょうか?朝9時にも関わらず既に開店している理容店にお邪魔してみましょう。
通りに面した所に、屋号の書かれた札が下げられている。 |
以前訪れた時はあったかどうか、私の記憶では定かでなかった。 |
ストーブのついた暖かな店内の奥から、奥様がお見えに。聞けばこの理容店は奥様が営んでいるとの事。屋号の事を尋ねると、
「それならうちの主人の方が詳しいので…。」
と呼んでくださいました。
「それは屋号です。この辺りは昔宿場町で、商売をしていた所は屋号を持っていました。ですからうちは『新發田屋(しばたや)』で呼ばれます。ここらの人からは、名字では呼ばれないんです。」
「それならうちの主人の方が詳しいので…。」
と呼んでくださいました。
「それは屋号です。この辺りは昔宿場町で、商売をしていた所は屋号を持っていました。ですからうちは『新發田屋(しばたや)』で呼ばれます。ここらの人からは、名字では呼ばれないんです。」
屋号の事は主人に…と話す奥様。 |
ご主人が屋号について解説。 |
嘗ては旅籠を営んでいて、その時にこの屋号を名乗ったそうです。新發田屋の「發」の字が古いあたりに、歴史を感じます。
家にある、街道筋の屋号の地図。 |
これだけ賑わっていたのが、伝わってくる。 |
「お隣は文字通り、昔は桶を作っていたんですよ。」
宿場町の雰囲気を出そうと、数年前から軒先に屋号を下げるようになったそうですが、ご主人に屋号の書いてあるもっと古い品が残っていないか聞いてみると、
「そうだね…、“とうみ”になら書いてあるかな。」
ご主人が店の裏へ案内してくださいました。
店の裏は随分と細長く伸びていて、物置や蔵、家などが並んでいます。
「昔はうなぎの寝床のように、道路に面する部分は狭くて、奥に細長かったんです。」
京都の町家に似た感じです。
宿場町の雰囲気を出そうと、数年前から軒先に屋号を下げるようになったそうですが、ご主人に屋号の書いてあるもっと古い品が残っていないか聞いてみると、
「そうだね…、“とうみ”になら書いてあるかな。」
ご主人が店の裏へ案内してくださいました。
店の裏は随分と細長く伸びていて、物置や蔵、家などが並んでいます。
「昔はうなぎの寝床のように、道路に面する部分は狭くて、奥に細長かったんです。」
京都の町家に似た感じです。
屋号を下げるようになったのは数年前だそう。 |
屋号の入った品を見せて頂くため、家の裏へ。奥が長い。 |
「今年は雪が多かったんですよ。」
と奥様。確かに身長以上に積もっています。因みに雪から木を守るために雪囲いがしてあります。
「私が植えた桜です。」
春には綺麗に咲くんでしょうね。
と奥様。確かに身長以上に積もっています。因みに雪から木を守るために雪囲いがしてあります。
「私が植えた桜です。」
春には綺麗に咲くんでしょうね。
奥様の身長より積もった雪が高い。 |
家の裏の木は、奥様の植えた桜だと言う。 |
店の裏の蔵には山2つに八の字、屋号の紋章があります。
「これが“とうみ”です。」
こちらが「唐箕(とうみ)」です。屋号と紋章が入っています。「昭和拾(十)七年」とありますから、実に80年前に作られたものです。
「これが“とうみ”です。」
こちらが「唐箕(とうみ)」です。屋号と紋章が入っています。「昭和拾(十)七年」とありますから、実に80年前に作られたものです。
蔵にも屋号が…。 |
ありました、こちらが「唐箕」。屋号も入っている。 |
しかも買った時期や値段まで書かれてあります。
「昔はこれ、大工が作ったんですよ。」
大工は家以外のものも作ったんですね。ところで唐箕とは?
「唐箕は、収穫した穀物を入れて、風の力で実と、殻やごみなどを分けるんです。」
まず穀物を漏斗状のところから入れます。
「昔はこれ、大工が作ったんですよ。」
大工は家以外のものも作ったんですね。ところで唐箕とは?
「唐箕は、収穫した穀物を入れて、風の力で実と、殻やごみなどを分けるんです。」
まず穀物を漏斗状のところから入れます。
当時は購入時期や値段も記録したのだろうか。 |
ここが分別される前の穀物などを入れる投入口。 |
そしてハンドルでもって風車のようなものを回すと、風の力で実以外の軽いものは飛ばされます。
こちらが回ると、風の力で実以外が飛ばされる。 |
こちらは回すハンドル部。 |
重い実はそのまま落ちて出て来るので、実とそれ以外を選り分けられるという訳です。教科書で見た記憶が薄らあります。80年も経った令和の今に残してあるとは…。するとご主人、
「いやいや、今も使っていますよ。うちは大豆を作っているので、収穫すると唐箕で豆だけにして、味噌を作るんです。」
「いやいや、今も使っていますよ。うちは大豆を作っているので、収穫すると唐箕で豆だけにして、味噌を作るんです。」
重い実だけが下に出て来る、という仕組み。 |
いまでも収穫した大豆を唐箕で選り分け、味噌を作っているという。 |
こちらのお宅では、今も手前味噌を作っていらっしゃるそうで、
「唐箕のハンドルを回して風を起こすのは私がやって、夫が豆を唐箕に入れるんです。」
と奥様。お二人で大豆を作って、選別して、自家製味噌を作っています。奥様の作る味噌汁の味は、
「それは美味しいですよ。」
とご主人。唐箕同様、昭和の頃の暮らしの様式が、今も息づいています。
「唐箕のハンドルを回して風を起こすのは私がやって、夫が豆を唐箕に入れるんです。」
と奥様。お二人で大豆を作って、選別して、自家製味噌を作っています。奥様の作る味噌汁の味は、
「それは美味しいですよ。」
とご主人。唐箕同様、昭和の頃の暮らしの様式が、今も息づいています。
ハンドルを回して、選り分けた大豆で味噌を作る奥様。 |
収穫した大豆を流し込むのはご主人。 |
ほかにもお宝を見せて頂きました。
こちらの絵は、ご主人曰く
「芸術村ってあるでしょ?そこにいた画家の人が描いてくれたものです。」
西会津町には、廃校を利用して芸術家を受け入れている西会津国際芸術村という施設があります。
西会津国際芸術村は、前回の「ぶらカメ 西会津町篇」でお邪魔しました。こちらをクリック。
そこにいた画家が描いた絵は、近くで見ると実は多くの文字で構成されています。その文字で、モザイク画のようにも見えるのです。面白い絵ですね。
「済みませ~ん。」
こちらの絵は、ご主人曰く
「芸術村ってあるでしょ?そこにいた画家の人が描いてくれたものです。」
西会津町には、廃校を利用して芸術家を受け入れている西会津国際芸術村という施設があります。
西会津国際芸術村は、前回の「ぶらカメ 西会津町篇」でお邪魔しました。こちらをクリック。
そこにいた画家が描いた絵は、近くで見ると実は多くの文字で構成されています。その文字で、モザイク画のようにも見えるのです。面白い絵ですね。
「済みませ~ん。」
ご自宅には、芸術村にいた”芸術家”からもらった絵が。 |
文字がデザインとなっている。 |
どうやら理容店にお客様が見えたようです。理容店を営む奥様は、
「お客様も結構早くに見える方がいて…。」
朝起きたら、タオルのスチームのスイッチを入れるのが日課だとか。突然のお邪魔にも関わらず、色々素晴らしいものを見せて頂き、有難う御座いました。
「お客様も結構早くに見える方がいて…。」
朝起きたら、タオルのスチームのスイッチを入れるのが日課だとか。突然のお邪魔にも関わらず、色々素晴らしいものを見せて頂き、有難う御座いました。
理容店の朝は早い…。 |
営業中にも関わらず、取材させて頂き有難う御座いました。 |
越後街道沿い(県道339号)は、ほかにも屋号の下がる建物が続きます。
暫く行くと、「焼きドーナツ」の幟のお店を見つけ、ちょっと寄ってみる事にしました(つづく)。
つづきの「大山祇神社の菓子も作る老舗菓子店」はこちらをクリック。
暫く行くと、「焼きドーナツ」の幟のお店を見つけ、ちょっと寄ってみる事にしました(つづく)。
つづきの「大山祇神社の菓子も作る老舗菓子店」はこちらをクリック。
屋号を見ながらの町歩きも楽しい。 |
石に彫られた親子?が優しく見つめる。ぬくもりの字が好い。 |
全文を読む