2024.01.25
with a camera in Samegawa Village 3-2
村外へのお出かけ前に我々に声を掛けて下さった女性が、
「自宅の“門”が村の文化財なんです。良かったら見ていってください!」
と仰るではないですか! ご自宅は川の反対側に見えるので、早速お邪魔します。
「自宅の“門”が村の文化財なんです。良かったら見ていってください!」
と仰るではないですか! ご自宅は川の反対側に見えるので、早速お邪魔します。
ご自宅の門が村の文化財だそう。しかも見せて下さる、という女性。 |
娘さんも、元気に挨拶をしてくれた。 |
橋へと折れる角には、「赤坂家長屋門」の看板が。どうやら、これのようです。
看板の角を折れて橋を渡った先に、先程の女性と娘さん、女性のお父さんが出てきてくださいました。
看板の角を折れて橋を渡った先に、先程の女性と娘さん、女性のお父さんが出てきてくださいました。
村内には案内看板が。門は、村では有名らしい。 |
ご自宅に戻った女性と娘さん、呼び出されたお父さんがお出迎え。 |
お父さんが、細かく説明してくださいます。
「これが“長屋門”と言って、門を囲むように長屋になっています。
「これが“長屋門”と言って、門を囲むように長屋になっています。
説明は、お父さん担当。 |
こちらの建物のように見えるのが、長屋”門”(鮫川村指定有形文化財)。 |
昔は恐らく馬なんでしょうが1階に家畜を飼って、その世話をする人が2階に住み込んでいたんです。この建物全体が門の役割をしています。」
建物(長屋)自体に門があり、1階に馬、2階に世話人が住んだそう。 |
結構な数の馬と人が暮らしていた筈。 |
ガラスが割れたり土壁が剥がれたりしている部分もありますが、2階の一部には組子細工が見られる等立派な長屋門です。
いまは物置だそうで、窓の上には装飾も。 |
さすがに土壁や窓(ガラスは後に入れられたのだろう)には傷みも。 |
許可を得て中から見せて頂くと、
「2階の梁は端から端まで1本の木だそうです。」
接ぎ木ではない梁を使うあたり、いかにこの長屋門に財を使ったか分かります。門の上には楓のデザインが施されているなど、表の組子細工同様手が込んでいます。
「2階の梁は端から端まで1本の木だそうです。」
接ぎ木ではない梁を使うあたり、いかにこの長屋門に財を使ったか分かります。門の上には楓のデザインが施されているなど、表の組子細工同様手が込んでいます。
2階の梁は端から端まで1本の木だそう。 |
門の上にも楓だろうか、絵が描かれている。 |
また脇には2階と外との行き来が出来る出入り口と階段も残っています。
本来長屋門とは門の両側が長屋になっているものの事で、武家屋敷で家臣などを住まわせていた形式のようです。赤坂家は武家関係なのでしょうか?
本来長屋門とは門の両側が長屋になっているものの事で、武家屋敷で家臣などを住まわせていた形式のようです。赤坂家は武家関係なのでしょうか?
アップで見ると、こんな感じ。 |
2階と外と行き来する階段も。 |
「嘗ては庄屋で、日本酒を造る酒蔵でもあったと聞いています。
長屋門は、元々武家屋敷で見られた建築様式。 |
武士でなく建てられたのは、経済的にも認められた人だったからだろう。 |
あの蔵が一番この敷地では古いものです。その向こうに酒造りにも使われた井戸があったんですが、震災で涸れてしまいました。」
蔵も長屋門も江戸時代のものと推測されています。武家屋敷に倣った造りを認められていたのですから、地元の有力者・実力者だったのでしょうね。
蔵も長屋門も江戸時代のものと推測されています。武家屋敷に倣った造りを認められていたのですから、地元の有力者・実力者だったのでしょうね。
敷地内に残る最も古い建造物、蔵(木の向こう)。 |
蔵の近くの井戸からは、震災前まで水がわいていた。 |
この赤坂家の近くには、元々屋敷内にあった碑が保存されています。嘗てここ旧渡瀬(わたらせ)村が凶作を経験し、普段からの備えが大事だとの戒めを、水戸藩の立原萬(たちはら・よろず)の文・書で彫り、赤坂家の先祖が寛政3(1791)年に建てた碑です。水戸藩とも交流を持てた赤坂家は、代々村の名主だったそうです。
長屋門の近くには、旧赤坂家が建てた碑がある。 |
凶作を乗り越えた事、赤坂家と水戸藩と交流があった事が分かる。 |
「今の住まいも、嘗ては茅葺だったんです。」
お父さんが自宅から持ってきた絵は、長屋門から見た家を描きたいという方によるもの。現在のご自宅は東日本大震災前に建て替えたもので、
「もし昔の家のままだったら、あの震災の揺れに耐えられなかったかも知れませんね。」
お父さんが自宅から持ってきた絵は、長屋門から見た家を描きたいという方によるもの。現在のご自宅は東日本大震災前に建て替えたもので、
「もし昔の家のままだったら、あの震災の揺れに耐えられなかったかも知れませんね。」
門の奥には、現在のご自宅がちらっと見える。 |
この絵のように、嘗ては茅葺屋根の家が門から見えたと言う(描かれたのは平成17年とある)。 |
長屋門を見に来てと言って下さった娘さんは
「うちの長屋門を知らない人が大勢見に来て、小さい頃はちょっと嫌だったんですね。でも大人になると貴重な存在で、その価値が分かります。私たちが受け継いで語り継いでいかないといけないなと思います。」
「うちの長屋門を知らない人が大勢見に来て、小さい頃はちょっと嫌だったんですね。でも大人になると貴重な存在で、その価値が分かります。私たちが受け継いで語り継いでいかないといけないなと思います。」
長屋門には、以前から多くの人が見物に訪れた。 |
小さい頃は知らない人に見に来られるのが、ちょっと嫌だったそう。 |
ただ東日本大震災を耐え抜いた長屋門も傷みが進み、保存していくのも簡単では無いようです。
土壁が剥がれ、中の骨組みが見える所も。 |
維持・保存の費用の捻出も課題だ。 |
そんな長屋門の歴史と課題の話を聞いている間も、お嬢ちゃんは色々なものを見せてくれたり教えてくれたりします。
「見て、氷があった!」「裏には畑があるの!」
「見て、氷があった!」「裏には畑があるの!」
お嬢ちゃんは、よその人に見せたいものがいっぱい。こちらは庭の氷。福島県っぽい形? |
雪の中を、お気に入りの靴で走り回る。 |
「シャツのきらきらがかわいいの。」
お母さん曰く、
「ラメが好きなんです。」
お母さん曰く、
「ラメが好きなんです。」
このシャツも、胸のデザインがお気に入り。 |
ラメを撫でると、イメージが変わる。 |
「これね、サンタさんが爪や口に塗るのをプレゼントしてくれたの。」
あら、お化粧が出来るんですね。
あら、お化粧が出来るんですね。
サンタさんからもらったプレゼントは… |
アイシャドーやトップコートなど。お洒落さんだ。 |
おじいちゃんにとっては女の子のお孫さんは初めてだそうで、
「やっぱり可愛いですね、自分の娘よりも。」
と目尻が下がりっぱなしでした。
「やっぱり可愛いですね、自分の娘よりも。」
と目尻が下がりっぱなしでした。
嬉しいのか、幾つもサンタさんからの贈り物を見せてくれた。 |
おじいちゃんは初の女子孫に、目尻が下がる。 |
赤坂家長屋門は個人宅の一部ですので、外からの見学はOKですが、敷地内に無断で入る事は出来ません。見に行く際はマナーを守ってご覧頂ければと思います。
そして突然の訪問&お出かけ前だったのに、色々教えて頂き、有難う御座いました。(つづく)
そして突然の訪問&お出かけ前だったのに、色々教えて頂き、有難う御座いました。(つづく)
休日の貴重な時間に、有難う御座いました。 |
外からの見学は自由。 |
村のお勧めを聞いてみると、
「きょうは公民館で竹細工の教室か何かを開いている筈です。実はきょう母がその教室に出かけているんです。」
との事。それは面白そうです。早速伺ってみます。
その3「竹で〇〇作り 素敵な間接照明が完成」は、こちらをクリック。
「きょうは公民館で竹細工の教室か何かを開いている筈です。実はきょう母がその教室に出かけているんです。」
との事。それは面白そうです。早速伺ってみます。
その3「竹で〇〇作り 素敵な間接照明が完成」は、こちらをクリック。
ご家族が、竹細工か何かの教室に行っているとの情報。 |
そこでは竹で〇〇を作っていた! |
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