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徳光 雅英
徳光 雅英Masahide Tokumitsu
After 11 years-1
 3月11日、東日本大震災があった日…。私にとっては忘れられない日です。
 今年の『ゴジてれChu!』では、震災当時の番組MCだった大橋アナと私の2人が、震災11年を機に「あの人に会いたい」と思う方のところへ行ってみようという企画を放送しました。
震災直後に第一報を報じていた私(11年前)。
震災直後に第一報を報じていた私(11年前)。
こちらはきょうの中継場所、浪江町の震災遺構「請戸小学校」。
こちらはきょうの中継場所、浪江町の震災遺構「請戸小学校」。
 私が訪れたかったのは、相馬市の「ホテルみなとや」です。
 以前『ゴジてれChu!』では相馬市のお店が、名物の蟹をそれぞれの形で提供するキャンペーン企画をしているという話題を放送しました。それをMCとして見ていた私は、あまりに美味しそうで息子と2人でホテルみなとやに出掛けました。日曜の昼時に行ったと思うのですが、客席が賑わっていて、美味しい蟹をたらふく食べて来た記憶があります。その時に対応して下さったのが若女将でした。それが震災の少し前の事。
 2011年3月11日に東日本大震災が発生し、太平洋に面した相馬市も津波の被害にあいました。私は当時ニュースセンターから連日震災・津波・原発事故の状況を伝えていました。放送では視聴者からのメールやファクスなどを読むのですが、その中に番組では紹介しなかったものの、或るメールが届いていました。それはホテルみなとやの若女将からで、津波の被害にあった事、でも家族や従業員は皆無事だった事、放送頑張って下さいと綴られていました。とりあえず人的被害が無くて良かった、と思ったのを覚えています。
現在のホテルみなとや。
現在のホテルみなとや。
 そして震災後10年、「ぶらカメ」という形で相馬市を訪れました。当然ホテルみなとやに寄りたいと思ったのですが、その時ホテルは閉まっていました。ガラス張りの1階にはカーペットか何かを干してあったので営業しているのは分かったのですが、ホテルの方に会う事は出来ませんでした。

その時のエピソード(去年、2021年)は、こちらをクリック。

 翌年、つまり今年1月にも「ぶらカメ」で相馬市を訪れました。その時に出会った方がたまたまホテルみなとやの隣の岬荘の方で、
「みなとやさんにも寄ってください。うちと親戚なんです。」
と紹介して頂き、再び立ち寄ったのですが、その日もホテルのドアは閉まっていました。

その時のエピソード(今年1月)は、こちらをクリック。

 そして2022年3月7日、今までの「ぶらカメ」はアポなしロケの旅ですが、今回は事前にスタッフが取材の約束をとりつけたので、今度こそ若女将に会えます。私が行く事は内緒にしてあるそうで、そのサプライズもカメラに収めようという訳です。
今年相馬に行った時は、お隣さんとは遭遇。
今年相馬に行った時は、お隣さんとは遭遇。
去年ホテルみなとやの前の港は、地割れが残っていた。
去年ホテルみなとやの前の港は、地割れが残っていた。
 取材当日、スタッフが段取りを若女将と確認し、これからカメラを入れて撮影を開始しますと告げた後、私と大橋アナが内緒でお邪魔しました。若女将は最初リポーターの誰かが来たと思って普通に
「いらっしゃいませ。」
と頭を下げたのですが、
「こんにちは、ご無沙汰しております。」
との声で私と分かった瞬間、驚いた表情を見せると、すぐに目から一筋の涙が…。
「よく覚えています、あの日の映像が浮かびますもの。(震災前に客として)迎えた時に、すぐに徳光さんだと分かって、でも忙しかったので挨拶もそこそこで…。今でも徳光さんを案内した席を覚えています、あ~来てくれたんだって思って。たまたま景色の良い窓際が空いていたんです。あの頃は(畳に)座って頂いたんですが、いまはテーブル席にしています。あ~懐かしい…。」
 実は去年・今年と2度訪ねた事を話すと、
「食堂は震災後やらなくなってしまったので、開けていない時もあります。(震災)前は毎日開いてました。」
 原発事故の影響でした。
「震災後、徳光さんが食べに来た蟹コース(という企画)をやれたのが数える位。蟹が獲れて提供できる体制にしていても、お客さんが来ないかも知れないし、そもそも蟹コースやっているのが伝わっていないんです。それが伝われば、もっとお客さんが来てくれると思うんです。」
 松川浦の海の幸への自信の表れでもあります。
ホテルみなとやの若女将。私が訪れた時の事を鮮明に覚えていらした。
ホテルみなとやの若女将。私が訪れた時の事を鮮明に覚えていらした。
「(徳光の)お顔を見ると、あの(ホテルが)忙しかった時の事が頭に浮かんでくるんで、その時をもう一度やりたいなと思います。ただ年齢を重ねたので(あの忙しさに)ついていけるかなと思うんですが、身体が覚えているんです。早く忙しくなって欲しいと願っています。」
 本当にそういう忙しさが戻って初めて、相馬の復興、日常を取り戻した事になるのかも知れません。
 ここまでカウンターの最初の出会いの場面なのですが、カメラが回っているのを忘れて再会を喜び合って喋ったあまり、殆どインタビューとして聞く内容を満たしてしまった気も…。場所を移して、震災当時から敢えて振り返って頂く事にしました。
津波の被災を免れた、震災前のホテルのパンフレット。
津波の被災を免れた、震災前のホテルのパンフレット。
 食堂でのインタビューの準備をスタッフが進める中も、若女将との話は止まりません。当時案内して頂いた席も見せて頂きました。当時はお客さんで混雑していましたっけ。
「もう厨房はしっちゃかめっちゃかでした。」
 そして震災後メールを頂いた記憶を話すと、
「震災の後、私はパソコン出来ないので、担当の者が(かわりに)やってくれたんだと思います。あの頃は電波が遮断されていて、私も避難しましたし…。」
 準備が整って、見晴らしの良い海側の食堂でインタビューです。
2階の食堂から。見晴らしが良い。
2階の食堂から。見晴らしが良い。
 震災前の松川浦やみなとやの様子を尋ねると、
「地元の食材が豊富で、四季折々穫れる魚を食べにくるお客様でいっぱいでした。県内は勿論、宮城、茨城、栃木、東京からも来てくれて、美味しいって喜んでくれました。」
 そして2011年3月11日午後2時46分の時に話は及びます。
「金曜日だったので、厨房で土日の仕込み、御膳を立てたり、大根をむいたりしていました。5本も6本も大根を仕込み中でした。あの時は突然揺れて、お客さんが3人だけいたんです、で階段の方に行こうとしたんですけど、揺れて階段から下りられない位。食器棚を開けていたので、食器が揺れてがたがたという音と、落ちて割れる音がしていました。お客さんの避難誘導で下りてもらうのにも揺れて大変で、下りてもらうのもやっと。外に逃げてもらって。振り返って建物を見ると、建物も折れそうな感じで揺れていました。家族もスタッフもけがはなかったし、建物は壊れなかったんです。本当に着の身着のままで…。」
 津波の警報が出ている事は分かっていたのでしょうか。
「津波が来るという頭が無かったんです。でも『逃げろ~』って消防団に言われて、『えっ、逃げるの?』って感じでした。せめてバッグだけでも、と思って自宅から荷物をとろうと思ったら、家具も仏壇も全てが斜めになっていて、テレビだけついていたんです、電気は通じていて…。見たら、地図の海岸線が津波警報でぱかーっぱかーっと点滅していて、それで子どもが避難していた小学校へ、車でギューギュー詰めになって行きました。」
震災前のパンフレットからも、眺めの良さや料理の豪華さが伝わってくる。
震災前のパンフレットからも、眺めの良さや料理の豪華さが伝わってくる。
 津波は見たのでしょうか?
「小学校の柵の下まで津波が来たんですが、津波の中で救急車が転がっているのが見えたんです。校舎の2階・3階に上がって下さいと言われて、移動した記憶があります。」
 それを見て、どう思いましたか?
「えーっ!?て…。避難している人の中には過呼吸になっている人もいたし、薬を持って来なかった人がいて、津波が引いた時を見計らって自宅に取りに行く人もいました。みなとやも無くなったな、って言う人もいました。でも『無くなる訳ない』と思っていました。あと避難した子どもがカーテンをとって、かけて暖をとった記憶があります。誰がいない、彼がいない、という本当か嘘か分からないんですけど、そんな話が飛び交っていました。その日は、誰がいるかと確認するだけだった記憶です。」
 食べ物はどうしていたのですか?
「私は気が張って、お腹が空かなかったんです。夕方になって『小学校もガス臭い』と…それも本当かどうか分からないんですが、避難しなきゃならないとなって、車に乗って町に逃げる途中で、小学校の校庭に消防団がいて、『お菓子あるから持っていけ』って子ども達に言ってくれて、子ども達はそのお菓子を食べました。
 ガソリンが無かったのでガソリンを入れようと思ったらガソリンスタンドが長蛇の列でした。幸い入れられて、その時に初めて『あ、子ども達に何か食べるものを買わなくちゃ』って思ってコンビニに寄ったんです。そしたらシャンプーなどの日用品しか無くて、何も(食べるものが)なかったんです。お金を持っていても意味がないんじゃないかと思う位買う事が出来なくて、食べ物はゼロでした。
 で別の小学校に避難して、そこでその日の夜か次の日の夜か記憶が飛んでいるんですが、白いおにぎりをたくさん握って下さった方々から、家族何人?って聞かれて、その人数分だけくれたのを食べた記憶があります。」
撮影で使わせて頂いた食堂からは、松川浦大橋も見える。
撮影で使わせて頂いた食堂からは、松川浦大橋も見える。
 みなとやに戻ったのは?
「2日後くらいに、とにかく自分の家に戻ろう、自分の家を1回見てみようと家族と一緒に車で戻って…。でも車で家の近くまでは行けなかったので、サンダルで、当時はまだ地面がびちゃびちゃ、水浸しだったんです。
 みなとやは1階の天井につかない位の波が、瓦礫と一緒に押し寄せていた感じでした。1階はぐちゃぐちゃで何も無かった感じ、鉄骨なんてむき出しになって折れて、カーテンがひらひらしていて、市場が近くにあるので発泡スチロールの箱、あと漁師さんの網がすごい絡まっていっぱいありました。」
 私がいわき市小名浜に2011年3月末に中継しに行った時に、ヘドロみたいのがあった話をすると、
「そうそう、真っ黒の、泥に水を含んだような土で一面真っ黒。重かったです。暫く経ってから来た時は、石灰を撒いて消毒しながら取り除いて…。この辺り、ちょっと歩くと釘が刺さるんですよ、ですから底が厚めの長靴をはいて、瓦礫を集めて、水道を少し出してもらって片づけた記憶があります。」
 その時再開できると思いました?
「全然、全然思いませんでした。ただ月日が経つにつれて、網を探している漁師の方がちらほらいらしたんです。網を探すって事は漁をする気持ちがあるんだなって背中を見ながら思って、魚を獲ってくれる人がいるんだなって…。殆どの人が助かったんですよね。
 またがれき撤去をしてくれる人が入ってくるという情報があって、そのために早く片付けて取りあえず直して、側も高級にしなくて良いから、早くお客さん(撤去をする人)を入れようって話になった時に、再開できるんだなって、震災から2~3か月経った頃には思いました。」
 実際にお客さんを入れたのは?
「10月です。松川浦を直す人がたくさん入ってくれて、しかも何か月単位で来てくれて、あの時は嬉しかったですね。」
震災当時の記憶を語って下さった若女将と。
震災当時の記憶を語って下さった若女将と。
 原発事故後でしたが、何を?
「お肉・野菜炒め、仕事する人の力になるようなものをお出ししました。ここは放射線量が低かったので、避難した人も少なくて、環境的には変わっていなくて、人も来やすかったと思うんです。放射線量が高い所で働く人も、松川浦を拠点にここに泊まって作業する所へ通っていたました。でも線量計は持っていましたね。」
 ただ魚からは放射線の値が出ましたが…。
「ただ待つしか無かったですね。テレビ見ても数値はあるし、漁師さん達が試験操業にたくさん行ってくれていたので、数値が落ち着くまでは待つしか無かったですね。」
 松川浦を直す人など仕事関係の人は、1~2年で仕事が終われば来なくなったと言います。では仕事じゃないお客さんを迎えたのはいつ頃ですか?
「一般の方にお料理を始めたのは、3年後位でした。出し始めの頃は『大丈夫なんです』が口癖でした。放射線の数値が出なかった魚を、出していました。昔お膳料理には使っていなかった魚でもうまく地元のものを使って…。お客さんも一品でも二品でも地の物が入っているとすごく喜ぶんですね。そういう風に少しずつ進めてきました。」
撮影用に、料理を用意していただいた。
撮影用に、料理を用意していただいた。
 復興したなと感じたのは、いつ?それともまだですか?
「突き進んできたので、自然と(震災前の)松川浦に近付いている気持でもあります。お客さんが多くても少なくてもやる事は一緒で、戻ってきているのではと感じています。
 ただ震災前の賑わいとは違います。震災前にもう1回戻りたいですね、あの雰囲気を味わいたいです。直売センターが賑やかで、GWには家族連れがいっぱい松川浦の食材めがけて泊まりに来たり食べに来たり、車が何回も行ったり来たり。厨房はしっちゃかめっちゃか、でもその時に戻りたいですね。
 震災前に比べると、今は(新型コロナの影響も含めて)お膳を食べて頂くお客さんの数は2割から3割ですね。買い物に来てくれる人はもっといるので、賑わいが少し戻ってきています。ただ新型コロナの影響で、前は30人入れられても今は15人しか入れられないし、それ用の設備も完備しなければならないんです。賑やかさがちょっとねぇ~。」
撮影で釜めしの蓋を開ける大橋アナ。
撮影で釜めしの蓋を開ける大橋アナ。
 このあとは、松川浦の海の幸を頂く事にしましょう(つづく)。

つづきの「これで2000円?大満足の『松川浦膳』」は、こちらをクリック。
いや~美味しそう♪
いや~美味しそう♪
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