2023.07.27
with a camera in Izumizaki Village 3-4
「ぶらカメ」泉崎村篇3巡目その4です。
その1「お父さんはまめで料理上手! & かわいいお孫さん含め寅年三世代」は、こちらをクリック。
その2「泉崎村のお洒落なケーキ屋さん & スイーツ大好き!笑顔の素敵なお客さん」は、こちらをクリック。
その3「絵に陶芸に歴史への造詣 幾つもの“顔”を持つマスターのいるカフェ」は、こちらをクリック。
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「珈琲とギャラリーの店 見附屋」のマスターは元証券マンで、絵も描く、器も作る、珈琲も淹れる、蕎麦も打つという一人で何役もこなします。そんなマスターが言います。
「たけみつ地蔵っていうのが、村にあるんですよ。」
たけみつ地蔵とは、別名「首切り地蔵」とも呼ばれていると言います。何とも物騒な名前ですが、
「その地蔵の首から上が落ちていたんです。」
「たけみつ地蔵っていうのが、村にあるんですよ。」
たけみつ地蔵とは、別名「首切り地蔵」とも呼ばれていると言います。何とも物騒な名前ですが、
「その地蔵の首から上が落ちていたんです。」
見附屋のマスターからお勧めスポットが…。 |
「たけみつ地蔵があるんです。」と。 |
マスターの話によると以前は首も落ち、草も生い茂っていてお地蔵さまが何処にあるのか分からなくなったような所を、地元の人が草を刈り、階段を整備して、首を戻したのだそう。
「或る町の女性が安産祈願をしたら子宝を授かり、お礼にお地蔵さまに前掛けをつけたそうです。以来前掛けや被り物がつけられるようになったみたいです。」
「たけみつ」の名前の由来もマスターはご存じで、
「村の立てた看板では『赤胴三五平』となっていますが、私が聞いたのでは高田三五平です。その伊達藩の居合抜きの達人、高田三五平が竹光で首を切り落としたと伝わっています。」
竹光で地蔵を切れるのか、という疑問は浮かびますが、ともかくそういう伝承があるという事です。
「或る町の女性が安産祈願をしたら子宝を授かり、お礼にお地蔵さまに前掛けをつけたそうです。以来前掛けや被り物がつけられるようになったみたいです。」
「たけみつ」の名前の由来もマスターはご存じで、
「村の立てた看板では『赤胴三五平』となっていますが、私が聞いたのでは高田三五平です。その伊達藩の居合抜きの達人、高田三五平が竹光で首を切り落としたと伝わっています。」
竹光で地蔵を切れるのか、という疑問は浮かびますが、ともかくそういう伝承があるという事です。
「たけみつ地蔵」について語り始める。 |
かつて、そのお地蔵様の首は落ちていたと言う。 |
「将来の観光客を増やす一環として、この『たけみつ地蔵』と(村と同じ西白河郡の)中島村の『奥州汗かき地蔵』と合わせてPRしていくのが、好いと思うんですよ。」
実は村の歴史にも詳しいマスター、
「是非見に行ってみてください。」
と言うので、回ってみたいと思います。
実は村の歴史にも詳しいマスター、
「是非見に行ってみてください。」
と言うので、回ってみたいと思います。
歴史ある町で、どんなお地蔵さまがまっているのか? |
「にゃに⁉ たけみつ地蔵とにゃっ?」 |
その場所は、住所では白河市小田川になりますが、泉崎村の文化財だそうです。道路を挟んで片側は田畑が広がる長閑な光景で、「たけみつ地蔵」はこの木がこんもり茂った所にあるそうですが…
この木の茂った所にお地蔵さまはあるらしい。 |
道路の反対側には、田畑が広がる。 |
ありました!「武光地蔵(首切り地蔵)」の看板の先に…。一瞬息を飲みました。と言うのも「お地蔵さま」と聞いて最初に連想する、道端で見かけるような、こちらがしゃがんで拝む位の大きさのお地蔵様ではありません。でかい! 大きさは2mほどあるでしょうか。
あった! 大きい!! どれくらい大きいかと言うと… |
こんな感じ(スタッフ撮影)。隣にいる私、見えます? |
表情は穏やかで、前掛けなどもつけてもらっている所から地域に大切にされているのは分かるのですが、その存在感と言うか威圧感が凄くて、もし一人で見に行ったら近付くのが少々憚られるような雰囲気があります。
木漏れ日の中にどっかと座る「武光地蔵」。 |
表情は穏やか。 |
首の所には割れ目や修復跡のようなものも見られます。
首には確かに、”ひび”のようなものが…。 |
この頭をのせるのも、さぞ大仕事だったろう。 |
後ろ側に回ると前の田畑を望むように鎮座しています。村の立てた看板には「長者の墓標とも」という言い伝えもあるそうです。福島県には田畑や集落を見下ろす丘にお墓が建っている風景をよく見かけますが、墓標だという説もこの風景には頷けます。
お地蔵さまが見つめる先は… |
集落の田畑。豊かな稔りを願うかのように見つめている。 |
同じくその立て看板には「江戸時代に造られた石地蔵」で「仙台伊達藩の赤胴三五平が」出逢った美人を「妖怪だと思い、持っていた武光(竹光)で切りかかった」ところ、後日「石地蔵の首がころげ落ちていたと伝えられ」、また「昭和40年代まで首が落ちたままだった」と書かれてあります。
お地蔵さまの後方には、解説の看板が。 |
江戸時代の作と考えられているそう。 |
武光地蔵の首がなぜ落ちたのかは分かりませんが、少なくとも数百年前に地蔵は造られ、一度は首が落ち、再び元の位置に戻されたというところは事実のようです。
首を繋いだのは、昭和になってから。 |
このお姿に戻られて、良かった…。 |
同じ西白河郡の中島村にある「奥州汗かき地蔵」も2m近い大きさだそうです。そちらは災害などの異変が起きる時に汗をかくという言い伝えが残っていますが、大きさと言い、独特な伝承と言い、西白河郡をもっと知ってもらう意味ではこの2つのお地蔵さまをもっと広報していっても好いかも知れません。私は福島県に来て33年、初めてこの武光地蔵を知りました。
お地蔵さまを取り囲むように木々がそびえる。 |
これが埋もれる位草が生えていたとは…整備も大変だっただろう。 |
ここまで無事取材を進められた事を武光地蔵にご報告して、今回の「ぶらカメ」旅の締めくくりとさせて頂きました。
最初にこの地蔵をここに作った人々も、苦労した事だろう(スタッフ撮影)。 |
旅の無事終了を報告して、失礼する事に。 |
この武光地蔵(首切り地蔵)は泉崎村の文化財で、この地蔵のすぐ近くの泉崎村太田川の地区の方々が整備などをしているそうです。場所は泉崎村太田川地区のすぐ近く、白河市小田川地区にあります。途中特に看板は無いので、ネットで検索した地図を頼りに行ってみてください。
お地蔵さまと言うか、大仏に近い存在感。 |
階段の先に鎮座している。 |
次回はこの週末に、俳優の児玉磨利さんが西郷村(にしごうむら)にお邪魔します。どうぞ宜しくお願い致します。
村にはシオカラトンボに… |
ハグロトンボも見かけられた。 |
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