2021.07.16
homecoming 2
7月16日のブログ(homecoming 1)で、「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品展」を取材した話を書きました。今回は展示作品もある雪村周継のこぼれ話です。
「ミネアポリス美術館 日本絵画の名品展」からのこぼれ話です。 |
雪村は室町後期から戦国時代にかけての画僧です。現在の茨城県常陸大宮市に生まれ、その後出家し、晩年は福島県で暮らしながら絵を描いたと考えられています。
門柱らしきものがあり、緑豊かな木々の奥に「雪村庵」の赤い屋根が見える。 |
現在、郡山市西田町(にしたまち)には「雪村庵」があります。この雪村庵は後世に建てられたものですが、その雪村庵の扁額(本物は別の場所に保管)の裏には、雪村が晩年を過ごした場所であると記してあるそうです。
雪村庵(普段は戸は閉まっています)。 |
この雪村庵の裏の竹林には雪村の墓が残されています。案内板の下に赤い矢印が書いてあり、日に焼けて殆ど見えなくなっている右向きの矢印に沿って上がっていくと…
庵のそばに立つ案内板。下の赤い矢印は色がとんでしまっている。 |
二つ目の案内板が。右から2つ目のようです。
4つある内の、右から2番目に矢印が書いてある。 |
右から2番目、もっとも平べったい岩が、雪村の墓だそうです。地元の人がいまも供養を続けています。
庵の裏山にある、雪村の墓。 |
こちらの雪村庵を守っているのが、地区の保存会の皆さん。最近は雪村庵の修復も、地元の有志がお金を出し合って進めたと言います。
取材日に来て下さった地元「雪村庵保存会」の方々。 |
「春と夏には1日ずつ、女性だけが集まって、念仏講を行っています。」
昔からこの日ばかりは、場の準備や片付けは男性の仕事だそう。
「ここ2年程は新型コロナウイルスの影響でやっていませんが、ずっと続いています。」
昔からこの日ばかりは、場の準備や片付けは男性の仕事だそう。
「ここ2年程は新型コロナウイルスの影響でやっていませんが、ずっと続いています。」
雪村庵の中。ここでは念仏講が行われ、地区の女性が集まる。 |
この雪村庵は「子どもの時には遊び場だった」そうで、改めて地元の人にとっての雪村庵とは、と伺うと、
「雪村が過ごしたのがこの地である事を考えると、この雪村庵は地元の宝です。」
と言い切ります。
「雪村が過ごしたのがこの地である事を考えると、この雪村庵は地元の宝です。」
と言い切ります。
茅葺屋根の頃の雪村庵(保存会提供) |
雪村庵には訪れた人にメッセージを書いてもらうノートが置いてあり、今年の訪問者の中には長崎の方も…。
「台湾の人も来るんですよ。」
「台湾の人も来るんですよ。」
知る人ぞ知る庵に、全国から、海外から雪村庵に人が訪れる。 |
庵の前には、樹齢400年とも伝えられる雪村桜もあります。
「4~5年前は花の色も薄くて樹勢が心配だったんですが、今年は葉の付きも好いので、盛り返してきたのかな。」
と話しますが、
「中は空洞になっているところもあって、専門の人に見てもらって、肥料などを与えてもらっています。」
建物だけでなく、その周辺の“風景”も守っています。
知る人ぞ知る、雪村庵。福島市で雪村の作品を見がてら、少し足をのばして行ってみるのも如何でしょう?
「4~5年前は花の色も薄くて樹勢が心配だったんですが、今年は葉の付きも好いので、盛り返してきたのかな。」
と話しますが、
「中は空洞になっているところもあって、専門の人に見てもらって、肥料などを与えてもらっています。」
建物だけでなく、その周辺の“風景”も守っています。
知る人ぞ知る、雪村庵。福島市で雪村の作品を見がてら、少し足をのばして行ってみるのも如何でしょう?
右手に桜の古木の濃い緑が垂れ下がる。 |
地域の方は勿論、地元郡山市や福島県の貴重な場所の一つと言えそうです。
この『花鳥図屏風』も、もしかして福島県内にモデルの地が…?? |
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