2021.05.27
respect
現在封切られている映画『いのちの停車場』、その試写会が以前福島県で行われ、その試写会の舞台挨拶を兼ねて成島出監督と出演者の柳葉敏郎さんが来県した事があります。その際、県内のマスコミがインタビューする時間があり、中テレからはインタビュアーとして私がお邪魔致しました。
柳葉さんと言えば、私の世代は一世風靡セピア※1のメンバーとして、或いは『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』※2に出てくる良い先生として、ブラウン管の奥の格好良い人であり、秋田弁を喋る笑顔の素敵な面白い方でもある魅力的なタレントさんとして見ていた人です。『前略、道の上より』※3のシングルレコードを買った記憶もあります。そんな柳葉さんがインタビュー会場のホテルの一室に現れた時には、あの柳葉さんだぁ…と思わず見惚れるとともに緊張し、インタビューが始まるまで柳葉さんが場を温めて下さるという、私が情けないのですが、柳葉さんの“人の良さ”も感じる事が出来た瞬間でした。
映画は、主人公の女医(吉永小百合さんが演じています)が故郷に戻り、在宅医療をする方々の治療などをする「在宅医師」として働きながら、医療とは、命とは、という問題と向き合い、そして究極の選択を迫られていき…という、重いテーマを扱った作品です。柳葉さんはその在宅医療を選んで故郷に戻ってきた患者の一人を熱演されています。
その役が高級官僚だったものですから、後に俳優としての当たり役となるあの刑事ドラマのM井S次(こちらは警察官僚)役と、どちらの官僚役が演じやすかったですか?なんて真面目じゃない質問を入れ込んでみたら、途中で室I慎J役の事と気付いて下さった柳葉さんは、「今回の映画の役の方が演じやすかったです。」と笑顔で答えて下さる、優しい方でした。
映画の中の柳葉さんの登場場面に、原作の小説(南杏子作、幻冬舎。映画とともにお勧めの一冊。)を読んだ方は「あれ、登場シーンが…」と思われるかも知れませんが、出演シーンの時間を大きく上回る存在感。成島監督も「病気の事をよく調べていらして、症状の演技は素晴らしかった」と絶賛する程。柳葉さんの場面はハンカチ必須です。
柳葉さんと言えば、私の世代は一世風靡セピア※1のメンバーとして、或いは『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』※2に出てくる良い先生として、ブラウン管の奥の格好良い人であり、秋田弁を喋る笑顔の素敵な面白い方でもある魅力的なタレントさんとして見ていた人です。『前略、道の上より』※3のシングルレコードを買った記憶もあります。そんな柳葉さんがインタビュー会場のホテルの一室に現れた時には、あの柳葉さんだぁ…と思わず見惚れるとともに緊張し、インタビューが始まるまで柳葉さんが場を温めて下さるという、私が情けないのですが、柳葉さんの“人の良さ”も感じる事が出来た瞬間でした。
映画は、主人公の女医(吉永小百合さんが演じています)が故郷に戻り、在宅医療をする方々の治療などをする「在宅医師」として働きながら、医療とは、命とは、という問題と向き合い、そして究極の選択を迫られていき…という、重いテーマを扱った作品です。柳葉さんはその在宅医療を選んで故郷に戻ってきた患者の一人を熱演されています。
その役が高級官僚だったものですから、後に俳優としての当たり役となるあの刑事ドラマのM井S次(こちらは警察官僚)役と、どちらの官僚役が演じやすかったですか?なんて真面目じゃない質問を入れ込んでみたら、途中で室I慎J役の事と気付いて下さった柳葉さんは、「今回の映画の役の方が演じやすかったです。」と笑顔で答えて下さる、優しい方でした。
映画の中の柳葉さんの登場場面に、原作の小説(南杏子作、幻冬舎。映画とともにお勧めの一冊。)を読んだ方は「あれ、登場シーンが…」と思われるかも知れませんが、出演シーンの時間を大きく上回る存在感。成島監督も「病気の事をよく調べていらして、症状の演技は素晴らしかった」と絶賛する程。柳葉さんの場面はハンカチ必須です。
何だこれは?と思った皆さん、まずは映画の取材の話にお付き合いください。 |
そんな若かりし頃にテレビで見ていた方の、印象と違わぬ人柄に触れた折、社内のSNS関連を扱う部署から、「Chu!Rhythm(チューリズム)」という、コロナ禍の中アナウンサーが音楽を楽しむ時間を動画にしてお届けする企画があり、その出演の番だと話がありました。
「何の曲でも好いんです。」
と話すスタッフに、それならば柳葉敏郎さんも歌い踊っていた一世風靡セピアの『前略、道の上より』をお願いした次第…というのが、今回の選曲の流れでした。
「何の曲でも好いんです。」
と話すスタッフに、それならば柳葉敏郎さんも歌い踊っていた一世風靡セピアの『前略、道の上より』をお願いした次第…というのが、今回の選曲の流れでした。
これは動画の中の移動シーン。歌っています。 |
しかしいざ撮影が近づいてくると、スタッフ兼演奏兼ディレクターのかなごんは、フルコーラス分を鍵盤ハーモニカで完コピしていたので、私も歌詞を再確認(1番以外はうろ覚えだったのです)。YouTubeで過去の映像を見て、真似できそうな範囲の踊りを俄かで覚えます。当時の映像を見ると、一世風靡セピアの皆さんは今再び流行しているらしいダブルのスーツを着て、躍動しています。そういえばまだ自宅のクローゼットに昔のダブルが残っていた筈、と探して見つかったのが、DOMON※4のダブルのスーツ。当時は肩パットが男性も女性も入っていましたっけ。冬ものですが、まぁ好いでしょう。
後ろにいるのが、かなごん。小柄な女性だが、この企画での存在感は半端ではない。 |
最初にかなごんが自ら鍵盤ハーモニカ、篠笛、パーカッション、キーボード、オタマトーンを演奏した音源に、私の声を入れます。
「2回歌ってください。音を重ねますから。」
と言われ、2回歌います。なるほど一世風靡セピア感を出す為に、複数人で歌っている風味を出したかったようです。
「2回歌ってください。音を重ねますから。」
と言われ、2回歌います。なるほど一世風靡セピア感を出す為に、複数人で歌っている風味を出したかったようです。
撮影で着たスーツの内ポケット。このロゴが懐かしい方も多い筈…。 |
その後、自分の歌った歌を流しながら、私とかなごんのパフォーマンスの撮影です。場所は中テレ屋上。かなごんは出演もするのでほかのスタッフがスマホで撮影するのですが、私の拙い歌と踊りを見ていたスタッフが段々私を“いじり”はじめ……その結果が、あの動画です(^-^;
先に屋上でパフォーマンスを撮影。すると… |
金網を掴む場面などは、スタッフの“いじり”の一環です。決して私はナルシシストでは御座いません!スタッフが「徳光がこんな事をやったら面白いかも…」と思って始めた本気のおふざけです(私も楽しんでいましたが)。
スタッフからの指示で獲った場面。ナルシシストではありません。 |
ただ一世風靡セピアの皆さんのパフォーマンスの一部、「そいや」の掛け声とともにとるクラウチングスタートっぽいポーズを真似てみたのですが、これが左の太ももに“効く”のです。1回歌い終わった時には太ももがぷるぷるしはじめます。
「じゃ、このあと階段を上って屋上に出るシーンを撮りましょう。」
と言われ、階段を下りようとしたら……左足が言う事を聞きません。上ってくるシーンで手すりを掴んでいるのは必要に迫られての事。その後の左足での“着地”も、かなり辛そうなのが映像に残っております。
「じゃ、このあと階段を上って屋上に出るシーンを撮りましょう。」
と言われ、階段を下りようとしたら……左足が言う事を聞きません。上ってくるシーンで手すりを掴んでいるのは必要に迫られての事。その後の左足での“着地”も、かなり辛そうなのが映像に残っております。
このポーズを繰り返した事で、直後の階段の上り下りに苦しむ事に…。 |
因みに「そいやそいや」は単なる掛け声ではありません。私も昔レコードを買った時に歌詞を見て気付いたのですが、「そい」は漢字で「素意」と書かれています。辞書の見出し語にもちゃんと載っていて、この歌やパフォーマンスにはメンバーの想いがこの「素意や素意や」の掛け声と歌詞に込められていたのかも…と当時思ったものです。
のせ上手のスタッフに、文字通り”踊らされる”私。 |
話が長いのが私の悪い癖ですが、今回の「Chu!Rhythm」のこぼれ話で御座いました。
こちらのサムネイルも、かなごんが造ったもの。徳光がいっぱいです。元ネタの『前略、道の上より』のオフィシャルYouTubeのサムネイルを知らないと、『マトリックス』※5か、と突っ込む方もいれば、イエロー・マジック・オーケストラ※6の『増殖』※7を思い出す私世代の方もいるでしょう。
ではお暇つぶしに、若いスタッフの感覚で54歳のおじさんの中途半端なパフォーマンスを“いじって”、でも本気で“ふざけて”作った映像をお楽しみ頂ければ、幸いです。
歌動画はYouTubeでご覧いただけます
こちらのサムネイルも、かなごんが造ったもの。徳光がいっぱいです。元ネタの『前略、道の上より』のオフィシャルYouTubeのサムネイルを知らないと、『マトリックス』※5か、と突っ込む方もいれば、イエロー・マジック・オーケストラ※6の『増殖』※7を思い出す私世代の方もいるでしょう。
ではお暇つぶしに、若いスタッフの感覚で54歳のおじさんの中途半端なパフォーマンスを“いじって”、でも本気で“ふざけて”作った映像をお楽しみ頂ければ、幸いです。
歌動画はYouTubeでご覧いただけます
リスペクトを込めたサムネイル。 |
私的・主観的注釈(一部敬称略)
※1 一世風靡セピア…1980年前後は竹の子族など、歩行者天国を使ってパフォーマンスをし、それを囲むように見て楽しむ“文化”があった。そんな路上でのパフォーマンス文化が生んだ1グループが、一世風靡セピアと言える。メンバーだった小木茂光さんは中テレの製作したドラマ『タチアオイの咲く頃に』に、哀川翔さんは中テレ製作の全国番組『キズナワーク』に親子で、それぞれ出演して下さっている。
※2 『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』…笑いの天才・萩本欽一の番組の一つ。土曜の夜に放送していたバラエティ『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の後継番組として、月曜夜9時から放送されていた当時の人気番組。萩本氏のバラエティは、月曜の『欽ドン!』の柳葉さんをはじめ、水曜の『欽ちゃんのどこまでやるの!』の真屋順子さんなど、出演者の新たな(面白い)魅力が引き出されていくドキュメンタリーとしての側面も見逃せない。
※3 『前略、道の上より』…一世風靡セピアの最初のシングル曲で、恐らく最も有名な曲。当時のジャケットもセピアではないがモノトーン調のかっくい~ものだった。
※4 DOMON…私の記憶違いでなければ、デザイナーズブランドの一つ。今回見つけ出したスーツは、私にとって初めてのレギュラー番組『プラス1ふくしま土曜ワイド』のMC時代、自前で衣装を用意せねばならず、郡山駅前に当時あったマルイでなぜかダブルに拘って購入した内の1着。JUN MEN、コムサ・デ・モード等、バブル時代にお世話になったブランドの1つでもある。
※1 一世風靡セピア…1980年前後は竹の子族など、歩行者天国を使ってパフォーマンスをし、それを囲むように見て楽しむ“文化”があった。そんな路上でのパフォーマンス文化が生んだ1グループが、一世風靡セピアと言える。メンバーだった小木茂光さんは中テレの製作したドラマ『タチアオイの咲く頃に』に、哀川翔さんは中テレ製作の全国番組『キズナワーク』に親子で、それぞれ出演して下さっている。
※2 『欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子』…笑いの天才・萩本欽一の番組の一つ。土曜の夜に放送していたバラエティ『欽ちゃんのドンとやってみよう!』の後継番組として、月曜夜9時から放送されていた当時の人気番組。萩本氏のバラエティは、月曜の『欽ドン!』の柳葉さんをはじめ、水曜の『欽ちゃんのどこまでやるの!』の真屋順子さんなど、出演者の新たな(面白い)魅力が引き出されていくドキュメンタリーとしての側面も見逃せない。
※3 『前略、道の上より』…一世風靡セピアの最初のシングル曲で、恐らく最も有名な曲。当時のジャケットもセピアではないがモノトーン調のかっくい~ものだった。
※4 DOMON…私の記憶違いでなければ、デザイナーズブランドの一つ。今回見つけ出したスーツは、私にとって初めてのレギュラー番組『プラス1ふくしま土曜ワイド』のMC時代、自前で衣装を用意せねばならず、郡山駅前に当時あったマルイでなぜかダブルに拘って購入した内の1着。JUN MEN、コムサ・デ・モード等、バブル時代にお世話になったブランドの1つでもある。
これもスタッフの指示ですので…(その割に乗り気?) |
※5 『マトリックス』…ウォシャウスキーきょうだい脚本・監督の映画。3部作となった。天才ハッカーの主人公が、或る時自分の生きる世界の本当の姿を知り…というコンピュータが欠かせない世界の近未来を描いたSF作品。エージェントと呼ばれる“敵”が次々増殖していく様も描かれる。映像が凄い。主人公を演じたのは、あのキアヌ・リーブス。
※6 イエロー・マジック・オーケストラ…1978年に細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一で結成されたテクノポップ音楽グループ。人気的には海外で火が付き“逆輸入”されたグループとも言える。私個人としては日本武道館のライブに行った「良い」思い出と、中学時代コピーバンドを組み、当時79800円もしたモノフォニックシンセサイザー(単音しか出せない、和音が出せない鍵盤楽器)を初めてお年玉貯金を下ろして秋葉原で5000円だけ値切って買ったものの、一度もコピーバンドが機能しないまま散解したという「苦い」思い出とが共存する。「欽ドン!」がらみでは、良い子悪い子普通の子役の3人が組んだ「イモ欽トリオ」(当時人気だったイエロー・マジック・オーケストラの頭文字YMOに因むらしい)が、細野晴臣作曲・編曲の曲『ハイスクールララバイ』を歌い、一世を風靡した。
※7 『増殖』…YMOのアルバムの一つ。曲の合間にラジオ番組『スネークマンショー』のコントが入るという斬新な一枚。ミニアルバムをLPのアルバムと並べて販売する為であろうか、ミニアルバムをLPサイズのダンボール製の枠にはめて販売するという遊び心も楽しい。ジャケットを検索してみれば、サムネイルから『増殖』を思い起こす理由も首肯できるかと思う。
※6 イエロー・マジック・オーケストラ…1978年に細野晴臣・高橋幸宏・坂本龍一で結成されたテクノポップ音楽グループ。人気的には海外で火が付き“逆輸入”されたグループとも言える。私個人としては日本武道館のライブに行った「良い」思い出と、中学時代コピーバンドを組み、当時79800円もしたモノフォニックシンセサイザー(単音しか出せない、和音が出せない鍵盤楽器)を初めてお年玉貯金を下ろして秋葉原で5000円だけ値切って買ったものの、一度もコピーバンドが機能しないまま散解したという「苦い」思い出とが共存する。「欽ドン!」がらみでは、良い子悪い子普通の子役の3人が組んだ「イモ欽トリオ」(当時人気だったイエロー・マジック・オーケストラの頭文字YMOに因むらしい)が、細野晴臣作曲・編曲の曲『ハイスクールララバイ』を歌い、一世を風靡した。
※7 『増殖』…YMOのアルバムの一つ。曲の合間にラジオ番組『スネークマンショー』のコントが入るという斬新な一枚。ミニアルバムをLPのアルバムと並べて販売する為であろうか、ミニアルバムをLPサイズのダンボール製の枠にはめて販売するという遊び心も楽しい。ジャケットを検索してみれば、サムネイルから『増殖』を思い起こす理由も首肯できるかと思う。
最後までお読み頂き、有難う御座いました。素意や! |
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