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徳光 雅英
徳光 雅英Masahide Tokumitsu
After a decade 2
 3月11日に放送した「ぶらカメ」特別篇、いわき市小名浜の有名店「うろこいち」にまつわるエピソードの続きです(3月14日のブログから続いています)。
 
3月11日の中継でお邪魔した双葉町の産業交流館から。隣接する中間貯蔵施設や福島第一原発の排気塔が見える。
3月11日の中継でお邪魔した双葉町の産業交流館から。隣接する中間貯蔵施設や福島第一原発の排気塔が見える。
 仏像大好き兄弟のお母さんは、うろこいちの御主人の娘さんです。
「震災の時は大学生で、当時は福祉関係の勉強をしていて、その方面で仕事をする予定でした。」
 震災前は店を手伝う事は考えていなかったようですが、震災を経験して、考えが少し変わります。
 
当時は実家から大学に通っていたという。
当時は実家から大学に通っていたという。
「家も店もぐちゃぐちゃになって、当時は古殿町の親戚の家から、店の掃除に通っていたんです。言葉には出さないんですが、両親ががっかりしているようなところを見てきました。手伝っている内に何とかしたいなと思うようになって…。親戚の家から店へ通う道中『一番は親の側にいて、店を再開させて手伝う事が私の夢なのでは?』と考えるようになって…。」
 
文章とは別に、弟さんの仏像ポーズコレクションを…。
文章とは別に、弟さんの仏像ポーズコレクションを…。
 震災が無ければ、店を手伝う事はなかっただろうと言います。でも今はおばあちゃんにお子さんを預かってもらって、実家の店をお手伝いする日もあります。
 
ここに紹介したポーズも、一部です。
ここに紹介したポーズも、一部です。
「店で働く方や、常連のお客さんと接していて、楽しいですね。」
 店の再建にはお客さんの応援以外に、家族の力もあったのです。

 
今では店を手伝う3児の母に…。
今では店を手伝う3児の母に…。
 一方、お父さんの店主は、店の外で話を伺った時に、こんな言葉を口にしました。
「海は怖いですね。」
 10年前、家族や店員は皆さん避難して無事でしたが、津波が押し寄せる度に店が壊れていったと言います。
 
この店の目と鼻の先(歩いて2~3分の処)に、太平洋が広がる。
この店の目と鼻の先(歩いて2~3分の処)に、太平洋が広がる。
「小名浜の海は良いんですよ。魚も太っているし…。市場に行く時も海を見ながら行ったものですが、震災の後は…怖いですね。」
 台風などで荒れた海も見てきた生まれも育ちも地元いわきの人も、津波で心に大きな傷を負いました。いまは「筏に乗っているようなもの」と例え「何かあったら逃げるしかないですよね。」と語ります。
 
この穏やかな海が、あの日暴れた。
この穏やかな海が、あの日暴れた。
「震災前に比べて、店も減ったし、行商の人も減ったし、若い人も少なくなった。震災で途切れちゃった感じ。」
 ただそれでも周囲に復活した店も多くある事は、心強いし良い事だと話します。
「あとは魚が揚がってこないとね。魚がもっと揚がれば、昔の活気も戻ってくるのかな。行商の人も少なくなりましたもん。ここで魚を買って、海から離れた所で売る人が…いま1人かな?いなくなりましたもん。」
 試験操業で魚の量そのものが少ないので、本操業になって魚の流通する量が増える事に期待をしているようでした。

 
港に魚が揚がらないと、行商する人もやって来ないと言う。
港に魚が揚がらないと、行商する人もやって来ないと言う。
 地元の人も怖いと感じさせるようになったいわきの海…。10年前に取材に来た時、岸壁には大きな漁船が、コンクリートをえぐって乗り上げていたのを覚えています。いまはすっかり修復され、平和な光景が広がっています。
 
今は津波の爪痕も消えた小名浜港。
今は津波の爪痕も消えた小名浜港。
 取材した日は鳥取や東京の船も寄港していました。
 サバなどをとる船ですが、この日は強風の為に午後の出漁を中止にしていました。
 
全国から”常磐もの”を獲りに寄港する。
全国から”常磐もの”を獲りに寄港する。
 福島の漁船に乗っている静岡の船員は
「福島は良い所。震災前と変わっていないように感じるね。海は豊かだし…。」
 
静岡に住む漁師。「福島の海は豊かだよ。」
静岡に住む漁師。「福島の海は豊かだよ。」
 またこちらは一般の釣り客も乗せる船。実は以前も震災後に取材した事のある船でした。
「震災直後は、陸に乗り上げた船なんかを撮影しに来る人もいた訳ですよ。暗い写真になるでしょ?だから自分の船くらい…と思って、ピンクに塗って明るくしたのよ。」
 
釣り船も兼ねる漁船の持ち主(右)と、そのお仲間。
釣り船も兼ねる漁船の持ち主(右)と、そのお仲間。
 漁師仲間でも、ピンクの船は話題になったとか(珍しいですものね)。
「あの人魚?業者に頼んで作ってもらって貼ったの。」
 10年経って、小名浜港から震災・津波の爪痕は消えました。これだけの復興が出来ると思っていたのか尋ねると、
 
漁船をピンクに塗り、特注ステッカーで明るい雰囲気を出した。
漁船をピンクに塗り、特注ステッカーで明るい雰囲気を出した。
「思ってました。5年位あれば元気になると…。でも原発事故がね…。この前もクロソイで(基準値超えが)出たでしょ?」
 実は福島県に揚がる魚から、最近は国の基準値100ベクレル/kgは勿論、福島県漁連の更に厳しい50ベクレルすら超える魚が出ていなかったのですが、2月にクロソイから400ベクレルを超えるものが久し振りに見つかったのです。勿論市場には出回りませんが、正直伝える我々も、400という数字には驚きました。
 
「復興はすると思っていたよ。」原発事故が想定外だった。
「復興はすると思っていたよ。」原発事故が想定外だった。
「そしたらお客さんも減りました。敏感ですよね。」
 それで福島第一原発でたまる処理水が海洋放出されたら、福島県の漁業は…と心配しています。
「原発の稼働は電力の事もあるから、色々考えはあると思う。でも福島と同じ思いだけはしてほしくないね。」
 
お客さんは、情報に敏感だと言う。
お客さんは、情報に敏感だと言う。
 そんな中でも、漁業関係の方は前を向いています。
「震災から10年、人魚やクジラ(のステッカー)ははがして、でもピンクの塗料ははげてきた所もあるから塗りなおそうかな。」
 
10年を機に、船に手を入れると言う。
10年を機に、船に手を入れると言う。
 福島県の漁業が正しい理解の下、盛んになっていく日が少しでも早く来てほしいと願います。

 このあと我々は北上して、宮城県寄りの相馬へ向かいます。
(3月12日のブログにつづく。)
 
このステッカーは、もうすぐ見納めかも知れない…。
このステッカーは、もうすぐ見納めかも知れない…。
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