2007.02.05
memories of Zukko-san
大学に現役合格できず宅浪していた私にとって、心の支えだったものの一つが、ラジオたんぱの『合格いっぽん道』という番組だった。当時『大学受験ラジオ講座』の前に45分間放送していた大学受験生向け番組である。水・木のメインパーソナリティは予備校講師や翻訳家として知られる宮崎尊さん、そしてその相手を2人の現役女子大生が担当していた。その1人が、愛称「ずっこ」さん。『蛍雪時代』という受験生向け雑誌に載った写真と大違いで、リスナーの集いで見た「ずっこ」さんの方が数段美しかった。喋りは明るくて、頭の回転が速くて、ずばっと斬る感じの、何とも心地よいものだった。因みに、初めて投稿したリスナーには必ず手書きの返事が来て、受験の時にはお守りがわりに持っていったものだ。それだけ、不安定な受験生の心に占める割合が大きい、言わば「拠り所」だったのだ。
「ずっこ」さんは、年度終わりの頃に、番組で「春から4年なので、出版・印刷関係の会社に進みたい」と話していた。この記憶があるのは、どこかに放送関係に進まないのかな?と当時思っていたからかも知れない。
2年後、「ずっこ」さんはアナウンサーとしてテレビに出ていた。
「すごいなぁ、あのDJをやっていた人が、アナウンサーになって喋っている!」
ブラウン管の向こうのアナウンサーの中で、当時最も身近なアナウンサーだった。アナウンサーという職業そのものを身近に意識したのは、「ずっこ」さんの御蔭とも言える。切れの良い喋りと、集いで見た美しさは、あの時以上に磨かれ、輝いていた。
4年後、私はアナウンサー試験を受けていた。最初の試験は、「ずっこ」さんのいる放送局だった。試験は数回に分けて行われた。100人位の受験生が会場の外でずらりと座らされ、事前説明があった。その時の説明に立っていたのが、「ずっこ」さんだった。
「この受験生の中に、変わった苗字の方がいるんですよ。『徳光さ〜ん』」
手を挙げさせられた。受験前に余計緊張させられた。
笑いもとれ、ナレーションでは七色の声を発揮し、核となるアナウンサーの一人として活躍されていた「ずっこ」さんと、再会する機会を得た。「ずっこ」さんは、当然私の事を覚えていなかった。
「私、ラジオに出演している頃から、知っているんですよ。」
と話したら、ご本人はあまりその話を周りにしていないようで、大層恥ずかしがっていた。そして、ふと
「その時、徳光さんのペンネームはなんでした?」
と聞かれ(『合格いっぽん道』では、リスナーは全員、固定のペンネームで投稿し、出演者に覚えてもらっていた)、
「『中国四千年の歴史』です。」
と答えたら、顔をちょっと背けてぷっと吹き出したあと、こちらを見て一言こう仰った。
「…覚えてる!」
本当に素敵で、尊敬できる先輩。私の大事な大事な思い出である。
「ずっこ」さんは、年度終わりの頃に、番組で「春から4年なので、出版・印刷関係の会社に進みたい」と話していた。この記憶があるのは、どこかに放送関係に進まないのかな?と当時思っていたからかも知れない。
2年後、「ずっこ」さんはアナウンサーとしてテレビに出ていた。
「すごいなぁ、あのDJをやっていた人が、アナウンサーになって喋っている!」
ブラウン管の向こうのアナウンサーの中で、当時最も身近なアナウンサーだった。アナウンサーという職業そのものを身近に意識したのは、「ずっこ」さんの御蔭とも言える。切れの良い喋りと、集いで見た美しさは、あの時以上に磨かれ、輝いていた。
4年後、私はアナウンサー試験を受けていた。最初の試験は、「ずっこ」さんのいる放送局だった。試験は数回に分けて行われた。100人位の受験生が会場の外でずらりと座らされ、事前説明があった。その時の説明に立っていたのが、「ずっこ」さんだった。
「この受験生の中に、変わった苗字の方がいるんですよ。『徳光さ〜ん』」
手を挙げさせられた。受験前に余計緊張させられた。
笑いもとれ、ナレーションでは七色の声を発揮し、核となるアナウンサーの一人として活躍されていた「ずっこ」さんと、再会する機会を得た。「ずっこ」さんは、当然私の事を覚えていなかった。
「私、ラジオに出演している頃から、知っているんですよ。」
と話したら、ご本人はあまりその話を周りにしていないようで、大層恥ずかしがっていた。そして、ふと
「その時、徳光さんのペンネームはなんでした?」
と聞かれ(『合格いっぽん道』では、リスナーは全員、固定のペンネームで投稿し、出演者に覚えてもらっていた)、
「『中国四千年の歴史』です。」
と答えたら、顔をちょっと背けてぷっと吹き出したあと、こちらを見て一言こう仰った。
「…覚えてる!」
本当に素敵で、尊敬できる先輩。私の大事な大事な思い出である。
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