2007.01.26
A wise man changes his mind, a fool never.
きょう最後のニュースは、アメリカの「豹柄の猫」という話題だった。要は、身体の斑文が豹に似ている猫がいたという訳。そこでふと「豹変」という言葉を思いついた。態度を豹変させる、という時のあれだ。
私も誤解していたのだが、調べてみると元は易経の「君子豹変す」から来ているそうだ。何でも、豹の毛が抜け変わると斑文が鮮やかになる事からの例えで、君子が過ちを改めて面目などを一新するように、言動や態度をがらっと変える事なのだという。詰まり、最初は良い意味で遣われていた。豹変するのは、決して悪い事では無いのだ。しかし何だか「豹変」と言うと、「がお〜」と吼える声(豹が「がお〜」と吼えるかどうかは知らないが)とともに獲物を襲う時のような、獲物から見れば災難な、悪い方の印象を伴う言葉として思い浮かべてしまう。繰り返しになるが、豹変は豹の斑文の例えであって、豹が獲物を捕る様とは無関係だ。
因みに以前書いたかもしれないが、「登竜門」という言葉も、呉智英氏の本を読むまで間違ったイメージを持っていた。「竜が登る門」と思い込んでいたが、登るのは鯉である。「竜門に登る」と訓読するのが正しいようで、急流で知られる竜門を登りきった鯉は竜になれるとの故事から生まれた言葉だという。確かに「竜が登る」なら「竜登門」でないとおかしい。
こういう話を知った時にぴたりと来る言葉が、鯉だけに「目から鱗」である。
私も誤解していたのだが、調べてみると元は易経の「君子豹変す」から来ているそうだ。何でも、豹の毛が抜け変わると斑文が鮮やかになる事からの例えで、君子が過ちを改めて面目などを一新するように、言動や態度をがらっと変える事なのだという。詰まり、最初は良い意味で遣われていた。豹変するのは、決して悪い事では無いのだ。しかし何だか「豹変」と言うと、「がお〜」と吼える声(豹が「がお〜」と吼えるかどうかは知らないが)とともに獲物を襲う時のような、獲物から見れば災難な、悪い方の印象を伴う言葉として思い浮かべてしまう。繰り返しになるが、豹変は豹の斑文の例えであって、豹が獲物を捕る様とは無関係だ。
因みに以前書いたかもしれないが、「登竜門」という言葉も、呉智英氏の本を読むまで間違ったイメージを持っていた。「竜が登る門」と思い込んでいたが、登るのは鯉である。「竜門に登る」と訓読するのが正しいようで、急流で知られる竜門を登りきった鯉は竜になれるとの故事から生まれた言葉だという。確かに「竜が登る」なら「竜登門」でないとおかしい。
こういう話を知った時にぴたりと来る言葉が、鯉だけに「目から鱗」である。
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