2024.03.07
with a camera in Aizumisato Town 3-1
『ゴジてれChu!』木曜恒例「ぶらカメ」のコーナー、今回は会津美里町(あいづみさとまち)にお邪魔しました。私が「ぶらカメ」でお邪魔するのは3巡目です。
1巡目(2019年6月)のエピソードは、こちら。
2巡目(2021年6月)のエピソードは、こちら。
ロケ日は3月2日。雪が降っていて、木々も粉砂糖をまぶしたかのような雪化粧をしています。3月とは言え、会津の春はまだ先です。
1巡目(2019年6月)のエピソードは、こちら。
2巡目(2021年6月)のエピソードは、こちら。
ロケ日は3月2日。雪が降っていて、木々も粉砂糖をまぶしたかのような雪化粧をしています。3月とは言え、会津の春はまだ先です。
ロケ日(3月2日)の会津美里町の天気は雪。 |
木々が真新しい雪で装われていた。 |
そんな会津美里町と言えば、入社2年目加藤さわアナ、そして私が入社してから大変お世話になった先輩、小林典子元アナと、中テレに2人のアナウンサーを輩出した地でもあります。そんなお二人にまつわる出会いは…簡単には無いでしょうが、素敵な出会いをしてきたいと思います!
加藤さわアナは会津美里町出身。そして… |
大先輩、小林典子元アナも会津美里町出身(写真中央)。写真左は…あれ? |
町をぶらぶらしていると、家の前の雪かきをしている方に出会いました。
「これからお客様の所に出かけるところなので…。」
聞けば広告やデザインの仕事をしているそう。
「これからお客様の所に出かけるところなので…。」
聞けば広告やデザインの仕事をしているそう。
融雪道路は、水を出している所もあった。 |
お仕事前の雪かき中。今年は雪が少ないそう。 |
「今はパソコンで縮尺も自由自在ですが、昔は写真の縮尺を変えるのにスコープを使って写真の“あたり”、いわば影から縁取りをして、色を指定してデザインしていました。…ってこの話、面白いですか?」
いえいえ、私が尋ねた事ですので…。因みに町でご主人の作った看板やちらしなどを見る事は出来ますか?
「深掘りしますねぇ。いえいえ、そういうものは特に無いですね。」
いえいえ、私が尋ねた事ですので…。因みに町でご主人の作った看板やちらしなどを見る事は出来ますか?
「深掘りしますねぇ。いえいえ、そういうものは特に無いですね。」
パソコンが無い頃は、画像の縮尺を整えるのも大変だったよう。 |
「深掘りしますねぇ。」はい、一つ一つの出会いを大切にしております。 |
因みにデザイン会社の名前は
「ダックジェイデザインと言います。私の名前のアルファベットを部分的にとったものをメールアドレスに使っていたんですね。それをそのまま会社名にしました。ああ、このパンダはマグネットシートに乗っかっているだけです。」
パンダはたまに移動するんですか?
「ああ、たまにですけどね。」
「ダックジェイデザインと言います。私の名前のアルファベットを部分的にとったものをメールアドレスに使っていたんですね。それをそのまま会社名にしました。ああ、このパンダはマグネットシートに乗っかっているだけです。」
パンダはたまに移動するんですか?
「ああ、たまにですけどね。」
自分の名前のメルアドから、そのまま店名にしたのだそう。 |
パンダはマグネットで貼り付いているので、時々移動も…。 |
お出かけ前に失礼しました。最後に町のお勧めを尋ねると、
「近くの長光寺(ちょうこうじ)の住職が、アクティブな人ですよ。子どもを預かる施設の園長もやる傍ら、お寺でライブや落語家を呼んで会を開くなど色々やっている方です。面白いと思いますよ。」
因みにご主人も音楽を?
「深掘りしますねぇ。アメリカの音楽が好きで、ギターを弾きます。」
これは貴重な情報です。お忙しい中、有難う御座いました。
「近くの長光寺(ちょうこうじ)の住職が、アクティブな人ですよ。子どもを預かる施設の園長もやる傍ら、お寺でライブや落語家を呼んで会を開くなど色々やっている方です。面白いと思いますよ。」
因みにご主人も音楽を?
「深掘りしますねぇ。アメリカの音楽が好きで、ギターを弾きます。」
これは貴重な情報です。お忙しい中、有難う御座いました。
長光寺の住職がアクティブらしい。 |
「深掘りしますねぇ。音楽もやります。」演奏は聞けず、残念。 |
案内された通り、すぐ近くの角には「長光寺」と彫られた石柱が建っています。暫く道なりに進みます。
指示された角には、2本の石柱が。 |
長光寺とあるので、この道で間違いない。 |
途中雪の多い町らしく、民家の木には雪吊りや雪囲いが見られます。
寺へ向かう道沿いの民家の植物は、雪吊りに… |
雪囲いが。雪深い地域らしい光景。 |
その先にありました。こちらが長光寺です。本堂の柱には「高田町幼児保育園」の看板がありますが、子どもの声は聞こえてきませんし、それらしい建物はありません。
(注:この辺りは合併前は会津高田町と言いました)。
(注:この辺りは合併前は会津高田町と言いました)。
猫が散歩中。こたつに入りに帰るのかな? |
長光寺。境内には銀杏の木が聳える。 |
ご家族に伺うと、施設は別の場所にあり、住職はそちらにいる筈との事。
保育園の看板はあるが、その施設も子どもも見当たらない。 |
保育園は別の場所らしい。 |
こども園「ひかり」を訪ねると、来客との話を終えた住職(園長)が出てきました。どうしてお寺の住職がこども園をやっているのか尋ねると、
住職が園長をしている、こども園「ひかり」。 |
こちらが住職であり、園長。お忙しいのに対応して下さった。 |
「元々は祖父が大正14(1925)年に、農繁期の託児所として子ども達を寺で預かったのが始まりで、昭和5(1930)年に幼児保育園になりました。」
現在の本堂が出来たのは昭和13(1938)年。当時の写真を見ると、本堂には「隣保館」の看板が下がっています。「保育園の隣」の意でしょうか、それだけ保育園を大切にしていた事が伝わります。
現在の本堂が出来たのは昭和13(1938)年。当時の写真を見ると、本堂には「隣保館」の看板が下がっています。「保育園の隣」の意でしょうか、それだけ保育園を大切にしていた事が伝わります。
昭和13年竣工の本堂と、子どもを預かり始めた住職の祖父(提供写真より)。入口を拡大すると… |
看板には「隣保館」の文字が。寺より保育園の方がメーンのような名前だ。 |
「保育園があったのは本堂の隣、いまは空き地になっている所です。
左の本堂に続くように、横に長い園舎があった(提供写真より)。 |
保育園の建物があった所は、空き地となっている。 |
その後、町立の幼稚園等の施設運営が単独では難しくなったので、一緒にやりませんかという事になり、今の場所に移って施設を運営しています。」
(因みに小林元アナはここの卒園児だったと、ご本人から聞きました。何と!)
(因みに小林元アナはここの卒園児だったと、ご本人から聞きました。何と!)
本堂と園舎。手前に回転型ジャングルジムがあるので、恐らく戦後か(提供写真より)。 |
境内での保育終了時のパンフレットに、園舎のカラー写真が載っている。 |
今の「こども園 ひかり」が始まったのは2011年4月。そう、東日本大震災(2011年3月11日)の3週間後です。
「境内の園舎は震災でも壊れなかったので、楢葉町(ならはまち)の被災者が一時期宿泊に使っていました。」
高田幼児保育園は、震災・原発事故の被災者も助けていたのです。(つづく)
「境内の園舎は震災でも壊れなかったので、楢葉町(ならはまち)の被災者が一時期宿泊に使っていました。」
高田幼児保育園は、震災・原発事故の被災者も助けていたのです。(つづく)
最後は木造2階建ての園舎だった。 |
住職はこの園舎の上から、よく夜空を眺めたそう(提供写真より)。 |
園舎を案内して下さった。 |
子ども達の工作が飾られている。 |
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