2022.01.27
with a camera in Sukagawa City 2-4
「ぶらカメ」須賀川市篇2の「その4」です。
その1「歴史ある街に須賀川の総鎮守あり 高校球児も新校名で必勝祈願」はこちらをクリック。
その2「須賀川にワイン蔵!?半年前に出来たばかりだそうで…」は、こちらをクリック。
その3「ワインは奥が深い~試飲篇~ 可愛い姉妹 魅力的な古い薬のパッケージ」が、こちらをクリック。
その1「歴史ある街に須賀川の総鎮守あり 高校球児も新校名で必勝祈願」はこちらをクリック。
その2「須賀川にワイン蔵!?半年前に出来たばかりだそうで…」は、こちらをクリック。
その3「ワインは奥が深い~試飲篇~ 可愛い姉妹 魅力的な古い薬のパッケージ」が、こちらをクリック。
須賀川の総鎮守で、地元高校球児の必勝近眼に出会った。 |
街歩きも楽しい、昔の薬を展示する薬局もあった。 |
最後に訪れたのは、こちらの「安藤紅白堂」です。というのも、前回「ぶらカメ」で須賀川市を訪れた際、取材した人からこちらの店に行ってみてはどうかと勧められていたからです。
(その時のエピソードはこちらをクリックして、下の方までスクロールしてください。)
しかしこの時は、ロケの少し前に起きた地震の影響で、お休みしていたのです。この日は開いているようなので、お邪魔しました。
(その時のエピソードはこちらをクリックして、下の方までスクロールしてください。)
しかしこの時は、ロケの少し前に起きた地震の影響で、お休みしていたのです。この日は開いているようなので、お邪魔しました。
安藤紅白堂。前回のぶらカメで出会った方にお勧めされていた。 |
「徳光さんには”ささる”かも…。」という話だった(写真は去年ロケ時)。 |
ご主人はラジオを聴きながら新聞を読んでいらっしゃいました。
「今年で96歳になります。」
わぉ、なんとお元気なんでしょう。お店を始めて65年以上になると言います。そのお店には、前回のエピソードでもご紹介した通り「懐かしい昭和のプラモデル」が店内に並んでいます。
「今年で96歳になります。」
わぉ、なんとお元気なんでしょう。お店を始めて65年以上になると言います。そのお店には、前回のエピソードでもご紹介した通り「懐かしい昭和のプラモデル」が店内に並んでいます。
お店のご主人。御年95歳(今年で96歳になるそう)。 |
懐かしのプラモデルが並ぶ。 |
TAMIYAと言えば、プラモデルの有名なメーカー。私がプラモデルを作った頃はテレビドラマ『コンバット』が再放送されていた頃で、昔はこの塗料を買って、戦車や軍人のプラモを塗っていました。
この塗料を何種類か集めたっけ…。 |
今ではレアなんだろうなぁ…。 |
左は「ガム」として売られていたようですが、そのガムの「おまけ」の方が実はメーンという商品のようです。スピットファイアは調べてみるとイギリスの戦闘機。右は日本の飛行機。下の箱に電池が入っていて、スイッチを入れてプロペラが回っているところです。
こちらはおまけの方が大きい?ガムについてくる飛行機。 |
前のプロペラがモーターで回る飛行機。 |
ミニ四駆なんていうのも流行りました。特にラジコンは高嶺の花の上、不器用という意味でも手の届かないおもちゃでした。
操縦して楽しむタイプも…(私には高嶺の花)。 |
ラジコン、憧れたなぁ。 |
「昔は学校が近かったんですよ。」
学校で使うボールもありました。また一般的なおもちゃも、懐かしいものがあります。
学校で使うボールもありました。また一般的なおもちゃも、懐かしいものがあります。
入口のショーケースには、おもちゃも…。 |
中には学校用ボールまで。 |
左の『ロンパールーム』は私の幼少時に放送していた子ども番組。右はシャワーが珍しかった頃のおもちゃですね。
ロンパールーム、久し振りに目にした。 |
私はおもちゃのじょうろを、シャワー代わりにした記憶が…。 |
勿論、今どきのおもちゃもあります(一番右のおもちゃが、シャワーですね)。
そして今の子どもが気になるのは、駄菓子でしょう。
そして今の子どもが気になるのは、駄菓子でしょう。
今の子どもの好みも逃さない品ぞろえ。 |
昔はこういう駄菓子を置いた店が、必ずといって良いほどあった。 |
「こういう駄菓子を置いた店も少なくなりましたね。」
確かに昔は駄菓子だけを売っているお店が、学校の近くに必ずと言って良いほど、あったものです。10円・20円でおやつの世界が広がったものです。
「共働きの家だと、昔は子どもが帰ると長火鉢にお小遣いがきょうだいごとに置いてあって、それを握りしめて駄菓子屋に行ったものですよ。」
私世代には懐かしい光景がよみがえります。ただ、
「新型コロナの影響で、いまは来る子どもの数も減りました。」
確かに昔は駄菓子だけを売っているお店が、学校の近くに必ずと言って良いほど、あったものです。10円・20円でおやつの世界が広がったものです。
「共働きの家だと、昔は子どもが帰ると長火鉢にお小遣いがきょうだいごとに置いてあって、それを握りしめて駄菓子屋に行ったものですよ。」
私世代には懐かしい光景がよみがえります。ただ、
「新型コロナの影響で、いまは来る子どもの数も減りました。」
カラフルなのも、気分が上がる。 |
昔はもっと強烈な色のついたお菓子もあったっけ…。 |
こちらのご主人は、嘗て予科練も経験したそう。戦争当時の昔話を聞かせていただき、当時の戦友の写真などの資料を見せて下さっていた時のこと、当時の同期の方々の名簿を見てびっくりしました。ご主人の名前のところに「特攻要員」と書かれていたのです。
プラモデルを見せて下さったご主人は、戦争経験者。 |
店に飾ってある零戦の写真。 |
「戦争中は上の人からは何も言われないんですよ。後から(名簿を見て)特攻要員だったと知ったんです。」
命令が下されない内に終戦を迎えたようです。ほかの方の名前のところには、桜のマークに「戦死」と書かれた方もいらっしゃいます。いまの平和な時代は、この歴史の上に成り立っています。
命令が下されない内に終戦を迎えたようです。ほかの方の名前のところには、桜のマークに「戦死」と書かれた方もいらっしゃいます。いまの平和な時代は、この歴史の上に成り立っています。
当時の集合写真のコピーも見せて下さった。 |
特攻要員だったことは、戦後に知ったという。 |
「安藤紅白堂」はお店なので見学という訳にはいきませんが、お子さんの駄菓子を買いがてらお父さんお母さんがついていくと、味わいのある品揃えにぐっとくるかも知れません。
おもちゃの拳銃も、一つあると遊び方の幅が広がった。多羅尾伴内だ!←古い |
真空管とラジオだろうか。アナログなものには、機能美がある。 |
今回須賀川市を回ってみて、やはり歴史が息づく街だと思いました。もっと須賀川の歴史や伝統、良さが知られてほしいし、私ももっともっと知りたいと思いました。その歴史は街歩きをしていても感じられますし、楽しいと思います。コロナが収まったら、何度でも足を運びたい(特に私はお隣、郡山市民なので、近いというのもあります)、そう思えた旅でした。
次回はしなだマンが、この週末に会津美里町を訪れます。どうぞよろしくお願いいたします。
次回はしなだマンが、この週末に会津美里町を訪れます。どうぞよろしくお願いいたします。
蔵にワインボトルがよく似合っていた。 |
まだ蔵も残り、歴史の豊かさがそこかしこで感じられる町だった。 |
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