みなさんは、「東日本大震災の被災地」と聞いてどんなイメージを持つでしょうか。離れた地域の方ならば、もしかすると震災直後のイメージで止まってしまっている方も少なくないかもしれません。それは暗いイメージでしょう。しかし、被災地の一つ福島県南相馬市では、“日本の先頭を走る”歌やダンスなど、子どもたちによるエンターテインメントが生まれようとしています。

福島県南相馬市にある「ドリームゲートスタジオ」。中では地域の子どもたちが歌やダンスのレッスンを受けていました。このスタジオを運営するのは狩野菜穂さん。子どもたちからは親しみを込めて“ナッポ”と呼ばれていますが、実は狩野さん、アニメファンならご存じの方も多いかもしれません。

狩野さんは「機動戦士ガンダム」シリーズの主題歌や挿入歌など、数多くのアニメソングの歌手として活躍。AAAやKing & Princeなど、人気アーティストに楽曲を提供するなど、日本の音楽業界を牽引してきた存在でもあります。

以前は都内で仕事をしていましたが、今は南相馬市に移住。アニメファンと出会うと、「なぜ福島にいるの？」と聞かれることも少なくないそうですが、その背景には福島との思わぬ縁がありました。

狩野さんは震災前、東京都杉並区で暮らしていました。当時、狩野さんの息子は少年野球チームに所属していて、チームでは小学5年生になると杉並区と交流のある南相馬市に合宿に行き、練習試合をしていたそうです。狩野さんにとって福島との縁はその程度でしたが、2011年、東日本大震災と原発事故が起こります。少年野球チームでは、南相馬の子どもたちのためにバットやグローブを送ることに。しかしその際、狩野さんが間違って大人用の野球道具まで送ってしまいました。

それを取り戻そうと南相馬の少年野球の事務局だったパン屋さんに電話をしました。パン屋さんからは「今は福島に来られる状況ではないから、いつか返しますよ」とのこと。それでも狩野さんはたびたびパン屋さんに電話をかけ、より現地の状況を知ることになります。すると、アーティストとして、当時の被災地支援の風潮にこんな疑問を持ち始めました。

「私もちょうど東京で、仲間のミュージシャンとチャリティソングを歌う企画に参加させていただいて、手をつなごう、そばにいようといったやわらかいバラードを歌った。でも、なんか他人事のように“そばにいるよ、手をつなぐよ”というのは、変だなと私は思った。」

少しでも被災地の力になりたいと考えた狩野さんは、後日パン屋さんに電話でこう切り出します。「私はミュージシャンで、CMソングもたくさん作っていたし、いろいろな曲を作っているので、よければパン屋さんの歌を作らせてください。」狩野さんはそこから1か月かけて、パン屋さんのCMソングを作りました。

曲を送ると、パン屋さんから大変喜ばれたそうですが、その数か月後、狩野さんにパン屋さんから一本の電話が入ります。

「あなたの曲で子どもたちが飛び跳ねて踊っている。」

原発事故の影響で、子どもたちの外遊びも制限される中、狩野さんが作った“パン屋さんのCMソング”で子どもたちが踊っているというのです。そこで震災の年の11月、狩野さんは仲間のミュージシャンとワゴン車1台にライブ機材を詰め込んで南相馬へ向かいました。震災と原発事故で人が少なくなったスーパーマーケットや道の駅などを回り、“パン屋さんのCMソング”のライブを敢行しました。子どもたちが飛び跳ねる中、大人も一緒に楽しんでいました。そのとき、ある女性からこう声をかけられたといいます。

「やっと泣いた。やっと涙が出た。」

震災という計り知れないつらい経験をした南相馬の人たち。“パン屋さんのCMソング”がなぜか思いを吐露するきっかけになったのです。このとき狩野さんは、「音楽が人の心の栓を抜く」ことに改めて気づかされました。

その後、狩野さんは時折南相馬市に通い、子どもたちと一緒に歌を歌うようになります。すると帰りには決まって子どもたちからこう声をかけられました。

「先生、来月いつ来るの？」

当時東京で活躍していた狩野さんですが、気持ちは徐々に福島へ向き始めます。狩野さん自身も悩み始めたとき、所属していた事務所の社長がこう声をかけたそうです。
「あなたの気持ちは福島にあるから、福島に行って思いっきり子どもたちとプロダクションをやりなさい。たぶん、これから日本のエンターテインメントは東京にいなければだめ、という時代ではなくなる。地方から新しいものが生まれる。あなたは福島にいてそれをやりなさい。」
この一言もあり、狩野さんは南相馬への移住を決断します。

間違って大人用の野球道具を送るという思わぬきっかけで杉並から南相馬に移住した狩野さん。移住後も南相馬と杉並の子どもたちが一緒に歌い踊る「トモダチプロジェクト」を展開。震災から14年が過ぎようとする今も交流は続いていて、毎年新しい仲間たちとの出会いとともに歌も生まれています。

さらに、南相馬にはスタジオも開設し、子どもたちに歌やダンスを教え、ステージイベントも開いています。レッスンを受ける子どもたちも年々増えています。

そんな狩野さんが南相馬で活動するにあたり、常に心に刻んでいる一言がありました。広島大学に通いながら音楽活動をしていた狩野さん。原爆が投下された広島では、西城秀樹、矢沢永吉、奥田民生、Perfumeなど多くのミュージシャンが生まれています。当時、ライブハウスの店長からこう言われたそうです。

「悲しいことがあった土地には、必ず歌が生まれる。どこに行っても、何を見ても、すべて自分の作品に反映させるように、そういう目で生きていきなさい。」

そんな一言を胸に、狩野さんは今日も南相馬で活動しています。震災から間もなく14年。狩野さんに浜通りに描く未来予想図を聞くと、こんな夢を話してくれました。

「福島の浜通りでは必ず、日本を引っ張っていくエンターテインメントが生まれると思う。日本で一番先頭を走る地域。日本一楽しい場所にする。」

狩野さんと子どもたちの笑顔があれば、この夢が叶う日もそう遠くはないはずです。

＜☑YouTube動画はコチラ＞

＜「トモダチプロジェクト」HP＞
https://www.tomopro37nouta.com/

シリーズ企画「アートレック」
タイトルの「アートレック」はアート(芸術)、アトレ(魅力)、トレック(旅)、レック(記録)を組み合わせた造語です。アーティストたちが被災地を訪れその魅力を記録していく活動や思いをYouTube動画・WEB記事・テレビ番組で伝えていきます。