2024.12.26
Did you prepare for 2025?
昨日で『ゴジてれChu!』の年内放送も終わり、中テレも年末モードです。皆さんもクリスマスが終わり、新年を迎える準備を進めている方もいると思います。
新年を迎えると言えば、カレンダーは準備できましたか? まだ、という方には「ゴジてれ2025カレンダー」は如何でしょう? 私も、自分用と実家用に計4部買いました。
このカレンダーはゴジてれ「シャトル」から現在の「Chu!」まで今年の10月で放送開始30年になったのを記念に、アナウンサーが色々な事に挑戦しつつ、その瞬間を一枚の写真に収めた月替わりカレンダーとして作りました。
私が担当したのは10月分、今から29年前の1995年に行われた「ふくしま国体」にまつわる事に挑戦しました。10月4日の特番で放送しましたが、そこからこぼれた話中心にご紹介します。
新年を迎えると言えば、カレンダーは準備できましたか? まだ、という方には「ゴジてれ2025カレンダー」は如何でしょう? 私も、自分用と実家用に計4部買いました。
このカレンダーはゴジてれ「シャトル」から現在の「Chu!」まで今年の10月で放送開始30年になったのを記念に、アナウンサーが色々な事に挑戦しつつ、その瞬間を一枚の写真に収めた月替わりカレンダーとして作りました。
私が担当したのは10月分、今から29年前の1995年に行われた「ふくしま国体」にまつわる事に挑戦しました。10月4日の特番で放送しましたが、そこからこぼれた話中心にご紹介します。
帰省する際に持っていこうとカレンダーをごそっと購入。 |
あの時私は1994年10月から半年だけ『ゴジてれシャトル』の初代キャスターを担当し、95年4月からは『ズームイン!!朝!』の福島のキャスターに移り、一方で同年1月から県内で行われていた「ふくしま国体」の取材・実況を担当していました。
10月はちょうど秋季大会の時期で、私は福島市の県営あづま陸上競技場で、陸上競技の実況(と言っても中継ではなく、取材映像に実況をつけておく事で、放送時に臨場感をもって伝え、記者の出稿負担を減らす事が目的)を担当していました。
10月はちょうど秋季大会の時期で、私は福島市の県営あづま陸上競技場で、陸上競技の実況(と言っても中継ではなく、取材映像に実況をつけておく事で、放送時に臨場感をもって伝え、記者の出稿負担を減らす事が目的)を担当していました。
ここが舞台の県営あづま陸上競技場(現「とうほう・みんなのスタジアム」)。 |
その中で思い出に残っている選手の一人が、吉田真希子さん(当時福島大学1年)です。吉田さんは後に女子400Mハードルの日本記録を7度も塗り替えた日本女子短距離界のレジェンド的存在で、現在は福島県にある東邦銀行陸上競技部の監督です。
![]() 約20年ぶりに、吉田真希子さんと再会。 |
吉田さんはふくしま国体の成年女子400Mハードルの予選に出場、途中まで予選突破は間違いなしというペースで走りますが、8台目のハードルで足がひっかかり転倒。予選3位で、決勝進出はなりませんでした。
![]() ふくしま国体でウォームアップする吉田選手(当時)。 |
吉田さん、元々は400Mハードルの選手ではありませんでした。
「中距離の800Mが専門だったんです。でも中学生の頃から『地元の国体で、福島を代表して走りたい』と思っていたので、(国体に出られる)400Mハードルに挑戦しました。地元国体に出るのは、それこそ(今振り返ると)国を代表するのと同じ位の気持ちでした。しかも国体の(陸上競技の)中では全日程の1発目に女子400Mハードルを入れて頂いていました。ここで勝って、福島県勢の勢いをつける意味合いもあったんです。
「中距離の800Mが専門だったんです。でも中学生の頃から『地元の国体で、福島を代表して走りたい』と思っていたので、(国体に出られる)400Mハードルに挑戦しました。地元国体に出るのは、それこそ(今振り返ると)国を代表するのと同じ位の気持ちでした。しかも国体の(陸上競技の)中では全日程の1発目に女子400Mハードルを入れて頂いていました。ここで勝って、福島県勢の勢いをつける意味合いもあったんです。
![]() 8台目のハードルで脚をかけてしまう(放送映像より)。 |
その日は日曜日だったのかな、スタジアムには多くの観客がいらして拍手で応援して下さって、その中を夢中に走っていて、そこで通告(場内アナウンス)の方が『先頭は福島の吉田さん』って放送されて、スタジアムが沸き上がった時に…こけたんです。歓声が悲鳴に変わって、でも8台目で転倒しても国体に懸けてきた思いもありますから諦めきれず、柔道張りに受け身を取って、9台目・10台目を跳んでゴールして、全体の10番で決勝に残れませんでした。」(決勝には上位8人まで)
![]() 思い出の競技場で昔を振り返る吉田さん。 |
当時の映像でも、頭をしたたかに打ち付けて転倒する様子が映っています。
「あのあと救急車で病院に運ばれたんです。」
首の骨が曲がっていたと言います。
因みに今回の取材の為に過去の実況資料を見直してみたら、「8台目を越えてから残り110Mのタイムは日本一」と書いてありました。そして「(ハードルは)怖いから高く跳んじゃう。その分走るスピードでカバーしてしまっている」との当時の本人の言葉も。
「あのあと救急車で病院に運ばれたんです。」
首の骨が曲がっていたと言います。
因みに今回の取材の為に過去の実況資料を見直してみたら、「8台目を越えてから残り110Mのタイムは日本一」と書いてありました。そして「(ハードルは)怖いから高く跳んじゃう。その分走るスピードでカバーしてしまっている」との当時の本人の言葉も。
![]() 頭を打って1回転した吉田選手(下。放送映像より)。 |
「中距離選手だったので、前半はあまり速くなかったので、後半勝負ではあったと思うんです。前半下手くそに跳ぶと、そのツケが終盤にきて…。」
当時の私の実況資料(シンプル過ぎて恥ずかしい)。8台目からは日本一、と資料にある。 |
ただ、その予選敗退がその後の陸上人生を大きく変えます。
「ふくしま国体が終わったらまた800Mをやろうと思っていたのです。でも恩師から『これは成功するまで400Mハードルをやめちゃいけないな』って言われて…。この転倒のお蔭で、400Mハードルで日本記録を出せたり、世界選手権に行けたりしたんだって思っています。
「ふくしま国体が終わったらまた800Mをやろうと思っていたのです。でも恩師から『これは成功するまで400Mハードルをやめちゃいけないな』って言われて…。この転倒のお蔭で、400Mハードルで日本記録を出せたり、世界選手権に行けたりしたんだって思っています。
![]() 転倒があったから、400Mハードルを極められたと話す。 |
恩師の言う『成功』って何だろうと思ったんです。400Mハードルを続けて5年後に日本一になって、6年後に日本記録を出して、でもハードルは得意でも好きでもなかったので、そこでやめても良かったんです。でも続けたお蔭で、それが世界(大会出場)に繋がって、38歳まで陸上選手を続けて、今は陸上競技を色々なところで指導させて頂いています。あの転倒も失敗ではないな、って。次の糧になっているんです。だからその時の転倒という失敗も、その次のステップになれば失敗とは言わなくていい、貴重な経験だったと。失敗から生まれるものがあるということを知ることができたと思います。」
![]() その後、日本記録を樹立するアスリートとなった(放送映像より)。 |
引退の年は2014年。奇しくも東日本大震災からの復興を応援しようと、日本陸連が日本選手権をあづま陸上競技場で開催した年です。
「あの頃の私は、日本選手権で決勝に残る事が難しくなっていました。でも私達にとってここ(あづま陸上競技場)は福島の聖地です。その聖地で行われる日本選手権で決勝に残るという事が、ふくしま国体の時と同じ状況だなと思って。この日本選手権でふくしま国体の時の借りを返すというか、何か忘れ物をここで取り戻しに行く為に0から頑張ろうと思って走ったら、決勝に残れ、こけなかった。そこで自分の中で陸上を終える事が出来る、次のステップに行けるなと思って、引退を決めました。」
「あの頃の私は、日本選手権で決勝に残る事が難しくなっていました。でも私達にとってここ(あづま陸上競技場)は福島の聖地です。その聖地で行われる日本選手権で決勝に残るという事が、ふくしま国体の時と同じ状況だなと思って。この日本選手権でふくしま国体の時の借りを返すというか、何か忘れ物をここで取り戻しに行く為に0から頑張ろうと思って走ったら、決勝に残れ、こけなかった。そこで自分の中で陸上を終える事が出来る、次のステップに行けるなと思って、引退を決めました。」
![]() 引退を決めた年に、ふくしま国体の会場で日本選手権が開かれ出場した。 |
福島で行われた日本選手権は、吉田さんが20回目の出場を果たした節目の年、しかも決勝のファイナリスト8人の内3人が福島大学出身という、福島開催に花を添える決勝となったのです。
「震災で私を含め福島が傷ついていましたし、私が老体に鞭打って出る事で元気になって頂く方もいらっしゃるかなと思って、必死にやりました。あの日は雨だったんですがずっと応援が途絶える事がなくて、ふくしま国体の時のように多くの方に応援して頂いて、悲鳴を聞く事なく走り終える事が出来ました。」
そして「次は指導者として世界をもう一度目指したい」という想いに変わり、現在の監督業に至ります。
「震災で私を含め福島が傷ついていましたし、私が老体に鞭打って出る事で元気になって頂く方もいらっしゃるかなと思って、必死にやりました。あの日は雨だったんですがずっと応援が途絶える事がなくて、ふくしま国体の時のように多くの方に応援して頂いて、悲鳴を聞く事なく走り終える事が出来ました。」
そして「次は指導者として世界をもう一度目指したい」という想いに変わり、現在の監督業に至ります。
![]() 今度は指導者として世界を目指す。 |
「まだオリンピックに選手を送り出せていないので、オリンピックでしっかり勝負できる選手を育成していきたい思いがあります。あとは生まれてからずっと福島で育ってきたので、陸上競技を通して福島の皆さんが幸せになれる事が出来れば、それが恩返しになると思います。」
![]() 次に目指すは、五輪選手を育成する事。 |
という吉田さんにふくしま国体の会場、あづま陸上競技場(現「とうほう・みんなのスタジアム」)で、ハードルを倒さずに走ってもらい、私もその様子を実況出来ないか、というお願いをしたところ快諾して頂いたのです。
ハードル走で8台目から転倒せず走破するところを撮らせて頂く事に。 |
走って頂くのは、運命の8台目のハードルの所から8・9・10台目の3つのハードルを跳んで頂き、フィニッシュして頂くというもの。そして私は番組用にスタートからフィニッシュまでを応援実況、カレンダー用としてはその内のハードル1台のところで、吉田さんが跳んだ瞬間に応援実況している様子を一緒に写真に収めるというものです。
3台のハードルが並ぶ前で、記念撮影。 |
そして本番。吉田さんの走りに合わせ、最初のハードル(8台目の位置)をクリアしたところで私も実況席から離れ、次のハードルで一緒に写真に納まり、フィニッシュまで並走しながら実況! ノーミスの吉田さんの走りを実況出来た事で、私の「ふくしま国体」も29年越しに終わりを告げる事が出来ます。
![]() 並走しながら実況する私(放送映像より)。 |
但し、条件は「写真がきちんと撮れているか」。つまり吉田さんがハードルを跳んでいるフォームが美しく、かつ吉田さんも私も瞬きなどをせず…など写真としての完成度が求められますが、これが何と一発OK。しかも撮影担当の相田カメラマンも、連写ではなく1回のシャッターでOKテイクだったのです! 我々スタッフ陣はともかく、吉田さんに二度走って頂くのは恐縮と思っていたのですが、そんな心配も杞憂に終わったのです。さすが相田カメラマン!
![]() カレンダー用の写真を撮った場所。私が画角に収まるよう、立ち位置を確認して臨んだ。 |
吉田さんも「ふくしま国体で『ほんとうの空』に飛ぶことのできなかった私がようやく飛べたような、そんな写真でした!」と絶賛です。
![]() 撮れた写真をのぞき込む吉田さん(右は相田カメラマン。放送映像より)。 |
そんな奇跡のテイクがカレンダーになった「ゴジてれ2025カレンダー」は税込み1650円です。
TSUTAYA桑野店・TSUTAYAイオンタウン郡山店・TSUTAYA白河店・TSUTAYA二本松店・TSUTAYA BOOKSTORE AIZU・TSUTAYA BOOKSTORE福島南・LATOV1階 浜通りアンテナショップ Rinka・S-PALいわき3階 MONOVAS・MOLTI2階ARISEGATE・裏磐梯レイクリゾート
で販売中です。数量限定ですので、売り切れていたら済みません。また中テレのオンラインショップ「中テレ屋」でも購入する事が出来ます。
是非2024年が終わる前に、お買い求めいただけたら嬉しいです。
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![]() ハードル走も無事終わり、笑顔満開の吉田さん。 |
そして『ゴジてれChu!』は25日をもって2024年の放送は終了しました。ご覧頂き、有難う御座いました。
来年は1月6日(月)から、新しくなったスタジオから放送します。私も2025年に「ぶらカメ」で福島市をぶらぶらし、1月9日(木)から出演します。
翌週には、故郷・千葉の観光スポットを巡る企画の放送も控えています。少々早いですが、『ゴジてれChu!』をはじめ、中テレを来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
来年は1月6日(月)から、新しくなったスタジオから放送します。私も2025年に「ぶらカメ」で福島市をぶらぶらし、1月9日(木)から出演します。
翌週には、故郷・千葉の観光スポットを巡る企画の放送も控えています。少々早いですが、『ゴジてれChu!』をはじめ、中テレを来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
吉田さん、全面的なご協力有難う御座いました。 |
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