2021.10.14
with a camera in Furudono Town 2
「ぶらカメ」古殿町篇その2です(今回はスペシャルウィークとして、石井アナと一緒に回っています)。
古殿町の道の駅でのエピソード・役場職員も知らない?謎の果物「ポポー」 (古殿町篇その1)はこちらをクリック。
神社はやはり訪れる人は無く、流鏑馬の時期に合わせてか、2年前の祭礼に奉納された幟がはためいています。
古殿町の道の駅でのエピソード・役場職員も知らない?謎の果物「ポポー」 (古殿町篇その1)はこちらをクリック。
神社はやはり訪れる人は無く、流鏑馬の時期に合わせてか、2年前の祭礼に奉納された幟がはためいています。
参道から古殿八幡神社を望む。 |
時期を知らせる幟がはためいていた。 |
奥では枯れ葉を掃除している男性がいます。二十八代目のこの神社の宮司です。
「古殿町の名前の由来は、この神社の名前からなんです。」
宮本村と竹貫村が合併する際、総鎮守の古殿八幡神社から古殿村(いまは古殿町)となったそう。そして流鏑馬は、800年ほど続く伝統行事と言われ、県の重要無形民俗文化財に指定されています。
「流鏑馬の時は、ここに砂を撒いて、1m位の幅にしてロープで仕切り、お客さんに見てもらいます。」
この一直線の道を馬が駆け、馬上から的を射抜きます。
「新型コロナの影響で去年中止して、今年は相馬野馬追(そうまのまおい)が規模を縮小しながら開かれたのでどうかなと思ったのですが、万一(の感染拡大)を考えて今年も中止しました。来年こそは、と思いますね。」
と期待をかけます。
「古殿町の名前の由来は、この神社の名前からなんです。」
宮本村と竹貫村が合併する際、総鎮守の古殿八幡神社から古殿村(いまは古殿町)となったそう。そして流鏑馬は、800年ほど続く伝統行事と言われ、県の重要無形民俗文化財に指定されています。
「流鏑馬の時は、ここに砂を撒いて、1m位の幅にしてロープで仕切り、お客さんに見てもらいます。」
この一直線の道を馬が駆け、馬上から的を射抜きます。
「新型コロナの影響で去年中止して、今年は相馬野馬追(そうまのまおい)が規模を縮小しながら開かれたのでどうかなと思ったのですが、万一(の感染拡大)を考えて今年も中止しました。来年こそは、と思いますね。」
と期待をかけます。
宮司は落ち葉掃きをしていた。 |
流鏑馬の際は、奥の通り(車が止まっているところ)を馬が疾走する。 |
因みにこちらの神社の狛犬は、わざわざこれ目当てに見に来る人がいるほど、一部のファンの間では有名な狛犬です。
「これは満州事変の翌年、昭和7(1932)年に小林和平という石工が造ったものです。」
小林和平は古殿町の隣、同じ石川郡の石川町生まれの石工で、福島県の中南部地域の狛犬を造った事でも有名なのだそうです。
「これは満州事変の翌年、昭和7(1932)年に小林和平という石工が造ったものです。」
小林和平は古殿町の隣、同じ石川郡の石川町生まれの石工で、福島県の中南部地域の狛犬を造った事でも有名なのだそうです。
古殿八幡神社の狛犬。 |
躍動感があり、飛び掛かってきそうだ。 |
「この狛犬は東日本大震災でもびくともしなかったんですが、その1か月後の4月11日の余震の方がこの辺りは被害が大きくて、下に埋め込まれた台座が揺れで浮き上がったんです。」
このコンクリートはその際の補修のものだそうです。
「狛犬だけ見て帰る方もいるのですが、お参りもしてほしいですね。」
このコンクリートはその際の補修のものだそうです。
「狛犬だけ見て帰る方もいるのですが、お参りもしてほしいですね。」
こちら左の狛犬は、10年前の余震で狛犬が浮き上がり… |
そこをコンクリートで埋めた跡が残る。 |
我々もお参りをする事にします。
鳥居をくぐり門を抜けたあたりから
「何だか空気が変わりますね。」
と石井アナ。
鳥居をくぐり門を抜けたあたりから
「何だか空気が変わりますね。」
と石井アナ。
門をくぐって境内へ…(スタッフ撮影)。 |
「空気が変わった」と話す石井アナ。 |
大きな杉の木に囲まれた境内は、空気も少しひんやりし、厳かな雰囲気が漂います。
地面や灯篭、杉の木の根元近くも苔むしています。境内の杉の木々は太さや高さからも百年単位の樹齢を感じさせるもので、町の文化財に指定されています。
更に階段を上ると、社殿があります。
地面や灯篭、杉の木の根元近くも苔むしています。境内の杉の木々は太さや高さからも百年単位の樹齢を感じさせるもので、町の文化財に指定されています。
更に階段を上ると、社殿があります。
樹齢を感じさせる杉の木々が、厳かな雰囲気を作り出す。 |
もう1つの階段の上に、社殿がある。 |
社殿手前には湧水が。竹筒を通って流れ落ちる音が、境内に響きます。
山の奥から湧いた水をひいている。 |
神社の静けさ・厳かな雰囲気を、水とともに写す石井アナ。 |
また社殿の提灯には、昼間から灯が灯ります。そこの賽銭箱には、1枚の貼り紙が…。
こちらが社殿。 |
杉木立の中、昼間から灯が点る。 |
「新型コロナウイルス対策のため、鈴を鳴らさずに…。」
手で触れる場所を少なくしています。
すると宮司が
「社殿の中を見ますか?」
と、扉を開いて見せて下さいました。
手で触れる場所を少なくしています。
すると宮司が
「社殿の中を見ますか?」
と、扉を開いて見せて下さいました。
鈴緒は触れないよう、両脇の柱の高い位置に留められていた。 |
宮司が戸を開ける為に、社殿へあがっていく。 |
「普段開けておくと上がり込む方がいるので、今は閉めています。」
というその中は、一般の参拝客が入れる手前部分、御簾の奥の玉ぐしを捧げる方が入れる部分、更に奥の神殿の3か所に分かれています。
「奥の神殿の屋根に『鬼瓦』にあたるものがあるんです。見ますか?本当に怖い表情をしていますよ。」
というその中は、一般の参拝客が入れる手前部分、御簾の奥の玉ぐしを捧げる方が入れる部分、更に奥の神殿の3か所に分かれています。
「奥の神殿の屋根に『鬼瓦』にあたるものがあるんです。見ますか?本当に怖い表情をしていますよ。」
中の明かりをつけて、戸を開けてくださった。 |
幣殿に明かりがともっている。手前が拝殿。 |
社殿を回り込むように進んでいくと、ご神木の奥に神殿が現れます。
確かに鬼の彫刻がにらみをきかせています。望遠カメラでアップを撮っている石井アナが
「左目と右目が違う方向を見ている。」
と言います。撮った画像を見ると、確かに目付きが左右違います。悪さをする者が近づかないよう、八方ににらみをきかせているのかも知れません。
確かに鬼の彫刻がにらみをきかせています。望遠カメラでアップを撮っている石井アナが
「左目と右目が違う方向を見ている。」
と言います。撮った画像を見ると、確かに目付きが左右違います。悪さをする者が近づかないよう、八方ににらみをきかせているのかも知れません。
社殿の奥「神殿」は、風雨から守る屋根で覆われている。その神殿の上の方に… |
にらみをきかせる「鬼」瓦的彫刻が! |
そしてそのそばのご神木は、根回りが境内で見た中で最も太い木です。
「高く見えるんですが、幹の部分は落雷か何かでそんなに高くないんです。枝が横に広がっているので、高く見えます。」
確かによ~く見ると、枝が横に伸びる辺りで幹がぷっつりと無くなっています。ただその幹回りといい、樹皮の苔やうねりといい、年代と厳かさを感じさせます。
「高く見えるんですが、幹の部分は落雷か何かでそんなに高くないんです。枝が横に広がっているので、高く見えます。」
確かによ~く見ると、枝が横に伸びる辺りで幹がぷっつりと無くなっています。ただその幹回りといい、樹皮の苔やうねりといい、年代と厳かさを感じさせます。
神殿脇にあるご神木と石井アナ。 |
見上げると、幹の終わり部分から枝が四方に伸びる。 |
立派な木と言えば、ここを訪れるきっかけとなった銀杏の木も、10月はまだ青々とした葉をつけています。
「色づくのは11月ですね。」
銀杏には雌雄がありますが、こちらの木は雌だそうで、
「実もたくさん落ちて昔は2~300キロになりましたよ。今はそこまでなりませんが、落ちた実を近くの川で綺麗に洗って、正月の参拝客に配るんです。」
宮司さんにとっては、結構な労働となるそうです。
「色づくのは11月ですね。」
銀杏には雌雄がありますが、こちらの木は雌だそうで、
「実もたくさん落ちて昔は2~300キロになりましたよ。今はそこまでなりませんが、落ちた実を近くの川で綺麗に洗って、正月の参拝客に配るんです。」
宮司さんにとっては、結構な労働となるそうです。
銀杏の木。右には流鏑馬の際の馬小屋もある。 |
七五三などでこの木の下で記念撮影する親子も多い。 |
そのほかにも門近くにはこれまでに奉納された額などが保存されていて、明治期から昭和初期のものが幾つも並んでいます。地元の方から如何にこの八幡神社が大切に思われてきたかが伺えます。
神社名が書かれた額。明治29年奉納のもの。 |
こちらは昭和14年。独特な木の形が、奉納に向いていると思ったのかも知れない。 |
因みに去年今年と中止になった奉納流鏑馬ですが、その流鏑馬の技術を磨くために、秋の奉納流鏑馬の前日と春の年2回、流鏑馬大会を実施しているそうです。流鏑馬や銀杏の黄葉は、私もいつか実際に見てみたいなと思える場所でした(つづく)。
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昭和5年奉納の額。 |
明治24年奉納の絵馬も見られる。 |
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