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大野 智子
大野 智子Tomoko Ohno
ご報告
きょうは皆さんにご報告があります。私、大野智子、今月2021年6月末日をもって、社内異動のため、中テレアナウンサーを卒業することになりました。1996年4月に入社し、これまで25年3カ月、半年前までは2年間の育児休業も頂きましたが、その2年を差し引いても、人生の半分以上という長い間、中テレアナウンサーとして色々な場所に行き、たくさんの方に出会いました。

担当した仕事は、高校野球取材、甲子園取材、少年サッカーのベンチリポーターに実況、全国高校サッカー選手権のリポーター、フットサルの実況、今はなでしこジャパン監督になられた高倉麻子さんとの女子サッカー番組、片岡鶴太郎さんナビゲーター・内山信二さんリポーターの「元気一番生テレビ」の福島県リポーター、「ズームイン‼SUPER」の福島県キャスター、「ゴジてれシャトル」の特集や中継のリポーター、「ゴジてれ金曜スタイル」「ゴジてれ土曜版」「ゴジてれChu!」のMC、ニュースキャスター、他にも特番やイベントの数々も含めアナウンサーとして希望したことは、全て経験させて頂きました。「ごくせんTHE MOVIE」では映画出演まで!楽しい思い出がいっぱいです。

一方で、東日本大震災後の取材は心が削られるようでした。2度目の原発の水素爆発があった日、私は「ズームイン‼SURER」の取材で三春町の体育館に避難してきた富岡町の方々に話を聞かせて頂いていました。津波から逃げて、ようやく家族と会えて、最初の爆発から逃げて、ここで2度目の爆発をテレビで見て…。もっと遠くへ逃げたいけれどガソリンもない、オムツが足りない、この先が不安で仕方ない、様々な声を聞かせて頂きながら、直接は何も力になれない無力感で涙をこらえられませんでした。放送には、この声を全国に届けることで何か皆さんが救われれば、とだけ思って臨みました。ただ、私自身も極限状態で、もともと感受性が強すぎることもあって、その後、自律神経が乱れ、仕事にならない時期もありました。もっともっと辛い方がいるのに申し訳ない、その思いは今でも忘れません。

震災から10年後に、三春町の体育館で私が取材させて頂いた方が富岡高校サッカー部の応援席にいらしたそうです。取材をした後輩が「あの時、大野さんは本当に私たちに心を寄せてくれた。よろしく伝えて下さい」と言われたと教えてくれました。とても、とても有難く思いました。

震災からしばらく経ったあとも「ゴジてれChu!」の生放送のスタジオで、皆さんが寄せて下さったメールを読んだり、特集を見たりしては、よく泣いていました。プロとしては至らないのですが、カメラの前でも感情を押し殺すことをやめようと思った頃から、身体もよくなってきたように思います。

ただ、そうした不調もあり、いつまでも自信が持てずにいたのが、子育てでした。それでも「ゴジてれChu!」のエンディング「きぼう」のコーナーで赤ちゃんとご家族が紹介されるのを見ているうちに、ようやく重い腰を上げることができました。そして、本当に奇跡的に44歳にして子宝に恵まれました。今は、もちろん大変なこともありますが、文字通り宝物の子どもとのおしゃべりや成長が楽しくて、日々幸せを感じています。それも、皆さんが日々見せてくださった家族の姿が背中を押してくれたからです。

振り返ると、全ての出会いが今の私を作って下さったという感謝の気持ちで一杯です。素敵な仕事仲間にも恵まれました。そして、いつも傍で支えてくれた家族にも心から感謝しています。来月7月から異動する部署は、報道とは全く違う新しい挑戦になります。また違う角度から中テレを支えられる存在になれればと思っています。

画面ではお会い出来なくなりますが、これからも福島県で暮らしていますので、どこかで見かけたら声を掛けて下さい!本当に長い間、アナウンサーとしての私に取材先や画面の中でお付き合いくださった皆さん、ありがとうございました。心から感謝しています。               

追:今月いっぱいはアナ日記もあと何度か更新したいと思っています。