番組情報 ふくしまの素顔

偉人、有名人、そして人知れず大きなことを成し遂げた人たち。
「ふくしまの素顔」は、福島県にゆかりのある人物の業績と人生にスポットを当てます。

1  2  3  4  5  6  7  次のページ

100回記念 Dr.NOGUCHI 人類のために死せり 〜英世を支えた二人の女性〜

No.100 - 2010年11月28日(日) 放送

研究室の野口博士

 100回目を迎える今回取り上げるのは世界的な細菌学者・野口英世。野口博士は左手のやけどというハンディを乗り越え、医学会に大きな功績を果たした。1928年、黄熱病の研究中に自ら黄熱病に罹りアフリカで亡くなった。しかし現在では千円札の肖像画に使われるなど、その名前と功績は決して風化していない。
 
 


野口博士を支えた母シカと妻メリー

 今回は野口英世を陰で支え続けた二人の女性を通して、野口博士の生涯をたどる。一人は野口博士を深い愛で包んだ実の母・シカ。もう一人は意外と知られていないアメリカ人の妻・メリー。二人の女性を紹介することで、素顔の野口英世が見えてくる。<出演>小桧山六郎(野口英世記念館学芸員)、飯沼信子(日本ペンクラブ会員)


春日八郎〜昭和を駆け抜けた国民的演歌歌手〜

No.99 - 2010年02月28日(日) 放送

苦労した下積み時代(恵子夫人と)

 「別れの一本杉」や「お富さん」など大ヒット曲で知られる演歌歌手・春日八郎は、大正 13年会津坂下町で生まれた。旧制中学の 2年の時に父親が亡くなったことをきっかけに上京し、浅草六区で見た藤山一郎のショーに感激して歌手を目指した。
 キングレコードの歌謡コンクールに入賞し准専属歌手となるが、食べることもできない貧しい下積み生活を送る。そんな時に知り合った恵子夫人の協力もあって昭和 27年に「赤いランプの終列車」でデビュー、大ヒットとなる。


ステージでの春日八郎氏

 以後たくさんのヒット曲を世に出すが、特に「別れの一本杉」はふるさとを思う多くの人々に感動を与えた。
 春日は歌を歌い続ける一方で若手歌手を育てるなど歌謡界のために尽力した。またふるさとを生涯大切にし、母校や会津坂下町の町民歌なども作っている。
 番組では関係者のインタビューを交え、その生涯と故郷への思いを紹介する。


大山忠作〜故郷を愛した孤高の日本画家〜

No.98 - 2009年11月29日(日) 放送

大山忠作画伯

 日展の理事長を務めるなど、日本画壇をリードした文化勲章受章者の故大山忠作画伯。
 大山画伯は大正 11年、二本松市生まれ。東京美術学校(現・東京芸大)に入学し、学徒動員でフィリピン戦線へ出陣した。終戦の翌年に復員し、その年の第 2回日展に出品した『O先生』が初入選。その後日展会員となり、事務局長、理事長などを歴任した。平成 18年文化勲章受章。今年の 2月、敗血症による多臓器不全のため 86歳の生涯を閉じた。


長女で女優の大山(一色)采子さんへのインタビュー

 故郷二本松の自然を愛し、故郷の旧友とは生涯変わらぬ交わりを続けた大山画伯。
 番組では 10月 1日二本松市にオープンした大山忠作美術館の収蔵作品などを通じてその業績を紹介するほか、長女で女優の大山采子さんや幼なじみの友人などに画伯の思い出や人柄などについてインタビューします。


髙羽哲夫 〜日本映画界を支えたカメラマン〜

No.97 - 2009年06月28日(日) 放送

カメラを回す髙羽さん

 福島県河沼郡湯川村生まれの髙羽哲夫さんは、山田洋次監督とコンビを組み、数多くの名作を撮影してきた映画のカメラマンです。
特に「男はつらいよ」は喜劇でありながら、美しい風景と日本人の人情を描き、国民的人気シリーズとなりました。
 第36作のオープニングでは、柳津町も撮影に使われました。


記念館でインタビューを受ける髙羽夫人

 そんな髙羽さんの功績を広く知ってもらおうと、会津では平成 10年から「あいづふるさと映画祭」が行われ、映画の上映や関係者の講演会も行われています。
また平成 20年の 9月には会津若松市にある末廣酒造嘉永蔵に髙羽哲夫記念館ができ、多くの来場者の興味をひいています。




記念館での取材風景

 番組では縁の地を回りながら、髙羽哲夫さんの生涯、そしてふるさと会津への思いを紹介します。






古関裕而 〜永久に鐘よ鳴り響け〜

No.96 - 2009年01月25日(日) 放送

故 古関裕而氏

 戦前から戦後という日本の激動の時期に、音楽によって人々の心を癒し、勇気づけてきた古関裕而。作曲した曲は 5000を超える。その作品はクラッシックからスポーツ、ラジオドラマ、歌謡曲、演劇、校歌など多岐に渡っていて、現在も多くの曲が歌い継がれている。
 福島市で生まれ育った古関は、ふるさと福島をこよなく愛し生涯大切にした。平成 21年は古関裕而生誕 100年という記念の年。福島との関わりに重点を置きながら、その波乱に満ちた人生を紹介する。


小野晋平 〜国際港・小名浜の整備に奔走した男たち〜

No.95 - 2008年11月30日(日) 放送

小野晋平氏

 国際港小名浜は去年の貿易額が4,000億円という、南東北の物流拠点となっている。また 1・2号埠頭を中心にしたエリアは、「人」や「もの」の交流の場として整備され、年間約260万人が訪れる県内きっての観光スポットになっている。しかし、明治初期には小さな漁村に過ぎなかった。この港を商業の港として発展させるために多くの町民が港に関わってきた。
 小野晋平もその中の一人。


小名浜港に立つ小野氏の銅像と齋藤リポーター

 小名浜の旧家の長男として生まれた晋平は、父親の意思を継いで町長や県議会議員となり、生涯を港建設に捧げた。特に昭和初期、第二種重要港湾に指定された工事が国の緊縮政策によって予算を削られた時には、200人を越える陳情団を率いて内務省に直接陳情し、工事再開を勝ち取った。
 今回は小名浜港の歴史を踏まえ、港整備に奔走した小野晋平の生涯を紹介する。


山川健次郎〜48歳で東京帝国大学総長を務めた白虎隊士〜

No.94 - 2008年06月29日(日) 放送

若松城で取材中の齋藤リポーター

 山川健次郎は会津藩士の三男として生まれた。戊辰戦争で敗戦後、16歳でアメリカへの国費留学生に選抜され渡米する。アメリカの技術革新に驚き、これまで受けていた会津藩の道徳教育偏執主義が戊辰戦争敗北に起因していると考えた。





山川健次郎の肖像

 彼は、会津のため、日本のために科学技術を学ぶことを決意する。不眠不休で学問に励み、エール大学を卒業する。
 明治 9年に帰国し東京開成学校(翌年、東京大学に改組)教授補になる。やがて東京大学初の理学博士号を授与される。
 48歳で東京帝国大学総長となる。さらに九州帝大、京都帝大の総長を務め、大学教育に尽力した。


吉田富三〜浅川町が生んだ世界の医学者〜

No.93 - 2008年02月24日(日) 放送

吉田富三博士

 吉田富三は、明治 36(1903)年 2月 10日、当時の浅川村本町に造り酒屋の長男として生まれた。
 東京帝国大学医学部を卒業、病理学を専攻、世界で初めて科学物質によってラットの肝臓に人工がんの生成に成功した。この研究はのちにイギリスE.L.ケナウェイらの研究と共に発がん性化学物質を究明する糸口をつくった。この功績により昭和 11年、帝国学士院恩賜賞を受賞した。


研究中の吉田博士

 昭和 18年 6月には、がん細胞の究極の姿とも言われる液状のがんをラットの腹水から発見した。いわゆる「吉田肉腫」と呼ばれる生きたままのがん細胞である。吉田肉腫の発見によって、がんの化学療法への新しい道を開いた。
 吉田富三はがん研究にとどまらず「人間が病気になるということは、身体だけではなく心も病んでいるのだから、その心にまで温かい手を差し伸べるのが、真の医者だ」という考え方から、医療制度の改革にも取り組み、医師の在り方などについての問題提起をするなど力を尽くした。


吉田富三記念館にて

 また、文部省の国語審議委員として、戦後の国語政策を正道に戻すための発言と活動を繰り広げた。吉田富三博士は文化勲章、勲一等旭日大綬章を受章するなど、大いなる功績を残し、昭和 48年 4月 27日、70歳で世を去った。
 平成 5年には、故郷、浅川町に『吉田富三記念館』が建設され吉田富三博士の顕彰事業として毎年、財団法人浅川町吉田富三顕彰会と日本癌学会が共同して、日本の癌研究に功労のあった人に「吉田富三賞」を贈っている。
 また、県内の小学生を対象とし「吉田富三子ども科学賞」を制定して「理科研究の優れた小学生」に賞を贈っている。


片寄平蔵 〜石炭発掘と郷土発展に活躍〜

No.92 - 2007年12月23日(日) 放送

片寄平蔵

 笠間藩下の大森村(現在は四倉町大森)に生まれた片寄平蔵(1813年〜1860年)は、名の知られた古川屋という材木商を営み、後に名字帯刀を許される。
商人として江戸の明石屋と交流があり、そこで黒船の動力になっている石炭に魅せられる。
 そして、映画『フラガール』を生むきっかけとなった常磐炭鉱の源となる石炭を、弥勒沢(現在の内郷白水町)で発見した。
 資金の工面等、苦労をしながらも発売にこぎつける。さらに研究熱心が功を奏し、『コールタール』を作ることにも成功し、これでガス灯を灯す。
 平蔵は福島県(いわき地方)の発展にのみならず、横浜の発展にも寄与し、横浜市野毛山公園には彼の功績を称え、片寄神社が立てられている。


 また番組では、現在人類が抱える大きな問題『地球温暖化』にも着目、先人によるこれまでの恩恵について、そしてこれからの新エネルギーについて真剣に考える必要があることを伝えていく。


郡山に電灯をともした男たち 〜わが国初の長距離送電〜

No.91 - 2007年10月28日(日) 放送

沼上発電所

 明治初期、小さな宿場町にすぎなかった郡山は、安積疎水によって大きな発展を遂げました。猪苗代湖の水は郡山の原野を潤し、農業を促進しました。
 明治 32年には沼上発電所が完成し、郡山まで約 23キロを高圧送電することに成功します。これは日本の高圧長距離発電の草分けと言われました。この電力は工場の動力となり、また郡山に初めての電灯を灯すことになります。
 この電力を求めてたくさんの資本が郡山に集まり、郡山の商工業は急速に発展することになりました。番組では発電所を建設するのに情熱を傾けた地元郡山の商人や、工事に貢献した技師など、沼上発電所建設に関わった人々を紹介しながら、当時をふりかえります。