番組情報 ふくしまの素顔

偉人、有名人、そして人知れず大きなことを成し遂げた人たち。
「ふくしまの素顔」は、福島県にゆかりのある人物の業績と人生にスポットを当てます。

小野晋平 〜国際港・小名浜の整備に奔走した男たち〜

No.95 - 2008年11月30日(日) 放送

小野晋平氏

 国際港小名浜は去年の貿易額が4,000億円という、南東北の物流拠点となっている。また 1・2号埠頭を中心にしたエリアは、「人」や「もの」の交流の場として整備され、年間約260万人が訪れる県内きっての観光スポットになっている。しかし、明治初期には小さな漁村に過ぎなかった。この港を商業の港として発展させるために多くの町民が港に関わってきた。
 小野晋平もその中の一人。


小名浜港に立つ小野氏の銅像と齋藤リポーター

 小名浜の旧家の長男として生まれた晋平は、父親の意思を継いで町長や県議会議員となり、生涯を港建設に捧げた。特に昭和初期、第二種重要港湾に指定された工事が国の緊縮政策によって予算を削られた時には、200人を越える陳情団を率いて内務省に直接陳情し、工事再開を勝ち取った。
 今回は小名浜港の歴史を踏まえ、港整備に奔走した小野晋平の生涯を紹介する。


山川健次郎〜48歳で東京帝国大学総長を務めた白虎隊士〜

No.94 - 2008年06月29日(日) 放送

若松城で取材中の齋藤リポーター

 山川健次郎は会津藩士の三男として生まれた。戊辰戦争で敗戦後、16歳でアメリカへの国費留学生に選抜され渡米する。アメリカの技術革新に驚き、これまで受けていた会津藩の道徳教育偏執主義が戊辰戦争敗北に起因していると考えた。





山川健次郎の肖像

 彼は、会津のため、日本のために科学技術を学ぶことを決意する。不眠不休で学問に励み、エール大学を卒業する。
 明治 9年に帰国し東京開成学校(翌年、東京大学に改組)教授補になる。やがて東京大学初の理学博士号を授与される。
 48歳で東京帝国大学総長となる。さらに九州帝大、京都帝大の総長を務め、大学教育に尽力した。


吉田富三〜浅川町が生んだ世界の医学者〜

No.93 - 2008年02月24日(日) 放送

吉田富三博士

 吉田富三は、明治 36(1903)年 2月 10日、当時の浅川村本町に造り酒屋の長男として生まれた。
 東京帝国大学医学部を卒業、病理学を専攻、世界で初めて科学物質によってラットの肝臓に人工がんの生成に成功した。この研究はのちにイギリスE.L.ケナウェイらの研究と共に発がん性化学物質を究明する糸口をつくった。この功績により昭和 11年、帝国学士院恩賜賞を受賞した。


研究中の吉田博士

 昭和 18年 6月には、がん細胞の究極の姿とも言われる液状のがんをラットの腹水から発見した。いわゆる「吉田肉腫」と呼ばれる生きたままのがん細胞である。吉田肉腫の発見によって、がんの化学療法への新しい道を開いた。
 吉田富三はがん研究にとどまらず「人間が病気になるということは、身体だけではなく心も病んでいるのだから、その心にまで温かい手を差し伸べるのが、真の医者だ」という考え方から、医療制度の改革にも取り組み、医師の在り方などについての問題提起をするなど力を尽くした。


吉田富三記念館にて

 また、文部省の国語審議委員として、戦後の国語政策を正道に戻すための発言と活動を繰り広げた。吉田富三博士は文化勲章、勲一等旭日大綬章を受章するなど、大いなる功績を残し、昭和 48年 4月 27日、70歳で世を去った。
 平成 5年には、故郷、浅川町に『吉田富三記念館』が建設され吉田富三博士の顕彰事業として毎年、財団法人浅川町吉田富三顕彰会と日本癌学会が共同して、日本の癌研究に功労のあった人に「吉田富三賞」を贈っている。
 また、県内の小学生を対象とし「吉田富三子ども科学賞」を制定して「理科研究の優れた小学生」に賞を贈っている。