番組情報 ふくしまの素顔

偉人、有名人、そして人知れず大きなことを成し遂げた人たち。
「ふくしまの素顔」は、福島県にゆかりのある人物の業績と人生にスポットを当てます。

長沢節〜伝説のファッション・イラストレーター〜

No.82 - 2005年12月25日(日) 放送

若き日の長沢節

 大正6年、会津若松で生まれた長沢節(本名 曻・のぼる)は、水彩画家、ファッション・イラストレーター、映画評論家、エッセイストなど幅広い分野で活躍した。




  


節のファッション・イラスト

 特に節の描く洒落た洋服姿の女性画は「スタイル画」と呼ばれ、戦後の日本ファッション界に大きな影響を与えた。









 


セツ・モードセミナーの卒業生と(最前列右端が節)

 長沢節が作った美術学校「セツ・モードセミナー」は、第一線で活躍する有名なクリエーターを数多く輩出したため、伝説の学校と呼ばれている。




 


晩年の節

 生涯独身を通し、「セツ美学」と呼ばれる独特の美意識をもった彼のライフスタイルは多くの人に影響を与えている。
 番組では長沢節が歩んだ自由な生涯と、その功績を作品と共に紹介する。




 


宮本百合子〜安積開拓を描いた作家〜

No.81 - 2005年10月30日(日) 放送

 宮本百合子(みやもとゆりこ、1899年〜1951年)は、明治32年に東京で生まれる。
 祖父の中條正恒(なかじょうまさつね)は、安積開拓の中心となって働いた人物。百合子は小学生の時から、夏休みなどにその祖父の家で過ごしていた。そこで見た周囲の貧しい農民の生活から「貧しき人々の群」という小説を書く。17歳のときだった。
 その後、プロレタリア文学で活躍するが、弾圧を受け、なかなか自由に小説を書くことが出来なくなる。しかし、終戦を迎え、ようやく好きなことをかけるようになり、「播州平野」「風知草」「道標」といった小説を次々と発表した。東京で生まれた百合子にとって、本籍地でもある郡山市が真の故郷であった。
 番組では、その生涯を紹介する。


日下義雄 〜長崎・福島の知事を歴任した男〜

No.80 - 2005年08月21日(日) 放送

取材中の齋藤幸恵リポーター

 日下義雄は、県内出身者で初めて福島県知事となった人物。在任は3年という短い期間だったが、郡山から会津若松を経て新潟県の新津に至る岩越鉄道(現在の磐越西線)の実現に多大な貢献をした。
 もともと会津藩のお側医の長男として生まれ、日新館で学んだ。17歳で鳥羽伏見の戦いに参戦し、さらに函館戦争にも加わった。捕虜となり、赦免された後は、明治政府の要人・井上馨の知遇を受け、アメリカやヨーロッパに留学して経済学などを学び、帰国後は、政府の高官として働いた。
 明治19年には長崎県知事、そして25年に福島県知事に任命される。その後役人を辞め、経済人として銀行や保険会社の相談役を歴任したほか、衆議院にも2回当選している。
 番組では、日下義雄の波乱の人生と、ふるさと会津を思う心を紹介する。


柳沼源太郎〜須賀川牡丹園をつくった男〜

No.79 - 2005年06月26日(日) 放送

柳沼源太郎氏の写真

 柳沼源太郎(やぎぬまげんたろう)は、明治8年(1875年)、須賀川市に生まれた。国指定名勝「須賀川牡丹園」の基礎を作ったのが、この源太郎である。


咲き誇る牡丹

 牡丹園はもともと伊藤祐倫(いとうゆうりん)という人物が、牡丹から薬を取るために、植え育てたのが始まりだった。その後、この牡丹畑は柳沼家に譲り渡され、薬をとる目的から牡丹の花を楽しむためのものとなる。


牡丹園でロケ中の斎藤リポーター

 源太郎は、父親の後を継いで、牡丹園の経営を引き継ぎ、寝食を忘れるほど心を込めて牡丹を育てた。須賀川の牡丹園は年々有名になり、昭和7年(1932年)、国の名称として指定された。
昭和32年(1957年)柳沼家だけの牡丹園経営が大変になり、財団法人化して源太郎の築いた牡丹園を管理している。


川崎プッペ〜現代人形創作の先駆者〜

No.78 - 2005年02月27日(日) 放送

川崎プッペの作品と斎藤リポーター

 白河市出身の現代人形創作の先駆者、川崎プッペの近代人形界に残した功績を追う。
 近代人形界の第一人者として常に先頭を走り続けたプッペは、東京の工芸学校を出た後に学んだ彫刻などの技法で新しい人形の世界を作り出し、その個性的作風は異彩を放った。
 昭和8年には人形研究所を設立し、舞台人形や舞踏仮面も制作する一方、銀座で人形作家としては初の制作講習会なども開き近代人形界に大きな功績を残した。