#あれから私は #これから私は

福島中央テレビ Yahoo!ニュース LINEニュース 連携企画

あの日から、10年。震災復興はどうなったのか。

これから取り組むべき課題は何か。

それぞれの人にとっての3.11。

この10年間のなかに、
この先の時代を生きるヒントがある。

福島中央テレビのピックアップ記事

LINEニュース特集
骨髄腫を押し事故の収束へ。自宅も中間貯蔵施設に…原発と生きた父は幸せだったのか?

福島第一原発が立地する大熊町出身の渡邉郁也記者。原発事故当時は双葉高校に通い甲子園を目指す野球部員だった。家族で避難先を転々とする中、東京電力の社員だった父は事故の収束作業に当たっていた。原発に支えられて生活していた故郷での暮らしが人生を一変させた。自宅は中間貯蔵施設の敷地となり、もう帰ることではできない。記者として福島の復興をどう伝えていくべきなのか、一人の人間としてこの福島でどう生きていくべきなのか。渡邉記者の目線で伝える特集記事です。

Yahoo!ニュース特集 #あれから私は
「福島産品、子どもに食べさせるべきか」疑心暗鬼の親たち、苦悩と迫られた判断

10年前の原発事故で放射能汚染が広範囲に及んだ福島県。福島産の野菜などの一部からは、食品の規制基準を超える放射性物質が検出された。当時の枝野幸男官房長官は「直ちに人体や健康に影響を及ぼす数値ではない」と会見で繰り返したが、多くの親たちは「直ちにとはどんな意味なのか」疑心暗鬼に陥った。

「地元の食材を子供に食べさせるべきか」

福島の親たちは大きな問題に判断を迫られることになる。

Yahoo!ニュース特集 #あれから私は
難病を抱えて生まれた我が子-不安な母の問いに、医師優しく否定 放射能デマを乗り越えた夫婦の10年

東京電力福島第1原発事故で放射線と向き合ってきた福島県。出産を控えた夫婦に告げられたのは予期せぬ心臓の奇形だった。生死の境を彷徨うわが子に、両親は漠然とした不安に苛まれた。一方で圧し潰されそうな親の心を支えてくれたものもあった。母親は意を決して医師に問いかけることにした。「私の子どもには放射線の影響があるんですか」

Yahoo!ニュース特集 #あれから私は
「まるで汚染、むごい」放射線に苦悩した家族、ローンある“二重生活“脱した決断

福島第一原発事故からもうすぐ10年、わが子は被ばくしていないか―福島で子育てをする親たちは見えない放射線と向き合ってきた。水は…食べ物は…遊ぶ場所は…ある妊婦は寄せては返す波のようにやってくる不安を逃れようと縁もゆかりもない仮設住宅へ。家族の心の穴を埋めたものは何だったのか。そして故郷へ帰還した家族、悩める親に子供が呟いたのは「家族の在り方」を象徴する一言だった。

Yahoo!ニュース特集 #あれから私は
原発事故後の福島県 外遊び巡り放射線への消えない不安

10年前の原発事故で放射能汚染が広範囲に及んだ福島県。安全とされる地域でも通常の数倍から数十倍の放射線が確認された。この放射線量のレベルは、科学的には「低線量被ばく」とされ、影響はほぼないと言われたが、それでガンになるかどうかは今も解明されていない。この状況の中、福島の親たちを悩ませた大きな問題の1つが「子供を外で遊ばせるべきか」ということだった。

Yahoo!ニュース特集 #あれから私は
原発爆発の直後に帝王切開「異様な緊迫」撮影
10年後、長男ついに見た出生

出産が間近に迫った妊婦たちにかつてない不安が押し寄せた。10年前の原発事故の際、福島では多くの妊婦が放射線の不安の中で出産を余儀なくされた。被災地の病院では原発の爆発直後に緊急の帝王切開手術が行われ、当時の様子を記録した貴重な映像が今も残されている。避難が迫られる中、医師や助産師たちは生まれようとする小さな命のために病院に踏みとどまり出産を支えた。地震、津波、原発事故で打ちひしがれ、先が見えなかった当時の私たちにとってこの世界に生まれ出てこようとする命は希望そのものだった。

LINEニュース特集 #あれから私は
彼らはなぜ、死と隣り合わせの現場に向かったのか

10年前のあの水素爆発を原発のすぐ傍らで目撃した人たち。その現場にいた人たちにしか言えないことがあります。危機が迫る原発建屋近くで電源復旧にあたった東京電力の元作業員の言葉。人や車が通れないほどにガレキが散乱した福島第一原発敷地内に次々と道を作った男性の言葉。※この記事は福島中央テレビが全6回シリーズで放送したニュース特集「原発の傍らにいた人たち」を再構成したものです。

伝えたい、ふくしまの未来~震災・原発事故から10年~

思い出したくないときもある

忘れてしまおうと思うときもある

でもどんなに辛い記憶や厳しい現実でも
伝え続けなくてはいけない

これからの福島のために

未来を生きるたくさんの子どもたちのために

「3分で見る震災から10年」は福島中央テレビが制作した「NNNドキュメント」の番組をダイジェスト版として編集したものです。

雨がやむとき~双葉町から避難した夫婦~

原発事故で大切な故郷を失った畜産農家の夫婦。双葉町から避難したのは埼玉県、そこで始めたのは野菜作りだった。「2人だから支えあえる。」夫婦は野菜にも故郷への思いを込めた。二人三脚で新たな生活を送る夫婦に訪れた突然の別れ。東日本大震災から7年、妻の胸に去来するのは。

(NNNドキュメント2018年3月11日放送から)

見えない壁

福島県いわき市に原発事故で避難した住民と津波被災者が暮らす公営住宅が隣り合う場所がある。賠償金で暮らす原発避難者と見舞金程度しか受けていない津波被災者…。補償の格差が横たわり軋轢を生んでいた。その壁を乗り越え互いの距離を縮めたいと1人の原発避難者が呼びかけた。元々は同じ福島県民で同じ被災者。それぞれの震災後の境遇と向き合いながら福島で生きていく姿を伝える。

(NNNドキュメント2018年2月11日放送から)

故郷のあの川へ~避難区域のサケ漁~

川を遡上するサケは故郷へ帰還する人々の姿と重なる。原発事故で一時、避難区域となった福島県の楢葉町。かつてサケ漁が盛んだったが震災で壊滅的な被害を受けた。避難指示が解除されてサケ漁が復活したが、長期間サケの稚魚を放流していなかったため遡上するサケの数は激減した。

(NNNドキュメント2017年3月26日放送から)

福島の海は死んだのか ~漁師の選択~

福島第一原発事故で、海に高濃度の汚染水が流出したことで本格的な漁はいまだに再開さていない。死んだとまで言われた福島の海で漁師たちは未知の放射能、風評被害と闘い続けている。一方、漁師に就く若い世代は少なく、高齢化が一気に進んだ。漁師という生き方を次の世代に受け継ぐための模索が始まっている。

(NNNドキュメント2012年6月17日放送から)

その哭き声が聞こえるか ~避難区域の動物たち~

無人の商店街をわがもの顔でうろつくイノシシの群れ。かつて家族の一員として飼い主と暮らしていたイヌやネコは野生化が進み、人間に牙を剥いて威嚇する。原発事故で人が住めなくなった福島県の避難区域に広がった光景だ。避難指示解除が進む中、動物たちは人々の故郷への帰還を妨げる存在にとなってしまった。原発事故で生きる道筋を狂わされた動物たちの姿を追った。

(NNNドキュメント2016年12月18日放送から)

我ら、じじい部隊 ~中間貯蔵に揺れる故郷~

自らを「じじい部隊」と名乗る男たちがいる。男たちの願いは仲間と共に故郷へ帰ること。福島県大熊町。原発事故で人が住めなくなった故郷に帰る日まで草刈りやパトロールに日々汗を流す。しかし、町では帰還の足かせになりかねない国の計画が進んでいた。県内の除染廃棄物を30年にわたり保管する中間貯蔵施設は、復興には必要な施設。しかし、完成すれば住み慣れた家には戻れない...人々が抱える故郷への複雑で切ない思いに迫る。

(NNNドキュメント2016年1月31日放送から)

移住者の10年~被災地で見つけた幸せの形~

「一人の人間として生きていきたい場所に出会えた」東京電力福島第一原発の事故で多くの住民が避難した小さな村に、単身で移住した人がいる。大阪府出身の福塚裕美子さん。この10年間、被災した村で実現したいことと、生活を続けていくこととの狭間で悩み、挫折も経験した。彼女はそれでもこの村で生きていきたいと考えている。原発事故による人口減少で過疎化が進む被災地で、一人の移住者が見つけた“幸せの形”とは。

(NNNドキュメント2015年6月7日放送とその他の取材を加えたもの)

NNNドキュメント’21
きっと、大丈夫。
福島で生まれた“きぼう”

2021年3月21日(日)しんや0時55分

福島を襲った東日本大震災、そして原発事故。

福島の親たちは「外遊びに出せない」「県産食材を食べさせられない」「将来、差別を受けるかもしれない」そんな思いを抱えつつも、「きっと大丈夫」「私が守りぬく」と心に言い聞かせながら、子育てを続けてきた。

あれから10年…迷い、葛藤しつづけた親たちが語るのは「子どもがいたから、やってこられた」。子育てを通して、あらためて福島の「今」を見つめる。

ナレーター:大橋 聡子(福島中央テレビアナウンサー)

NNNドキュメント’21
東日本大震災10年
いま、伝えたいこと…

2021年3月14日(日)しんや0時55分

東日本大震災10年。

大津波を逃れた当時中学生だった少女は…犠牲になった人たちを思い、災害と向き合う道を選んだ。

瓦礫の中で耐え抜き9日後に救出された少年は、震災を考える事から避けるようになったが…語り部となった。

原発事故で故郷を追われた少年は、福島を伝え続けるため、報道記者になった。

岩手・宮城・福島の共同制作で、彼らの成長を、当時の映像を織り込みながら伝える。

そして「いま、伝えたいこと」を聞く。

ナレーター:千葉雄大さん

伝えたい、ふくしまの未来~東日本大震災から10年~

2021年3月7日放送

帰ることの見通しすら立たない人たちの故郷への想いとは…

津波被災者と原発被災者が、ともに前を向いて歩み始めた理由とは…

事故前の姿とは程遠い環境のもとで再開した美容室を訪れる人たちの本音は…

3つのストーリーを通して、人々が伝えたい「ふくしまの未来」に対する声に耳を傾けます。

【出演】

村尾 信尚 関西学院大学教授/元NEWS ZEROキャスター

緒方 太郎・小野 紗由利・直川 貴博/福島中央テレビ

2165のきぼう~福島10年それぞれの歩み~

2020年12月31日放送

東日本大震災後にゴジてれChu!で放送を開始した「きぼう~ふくしまのめばえ」のコーナー。

震災10年目のことし、出演した赤ちゃんは2165人。テレビを通して“新たな命の誕生”を伝え続けてきました。

番組ではこの10年間の取材で出会った家族を改めて訪れ、子どもたちや家族の“いまの姿”をお伝えします。

あの辛い経験をした親だからこそ伝えられる思い、そして、あの時生まれた子どもたちの夢が詰まった番組です。

ナーレーター:関あつし(母心)、小野紗由利(福島中央テレビ)

止まった時間が動き出す 震災から9年 それぞれの選択

2020年3月8日放送

人々の営みが途絶えた町に再び列車の音が響く

生まれ変わった駅に期待を寄せる人

避難を続け遠くから故郷を思う人

JR常磐線の全線再開と帰還困難区域の一部解除で新たな一歩を踏み出す富岡町・大熊町・双葉町を総力取材。

ゲストに元ニュースキャスターの村尾信尚氏を迎え、震災から9年の被災地の今を伝える。

定点で見る震災10年

新地町の10年

相馬市の10年

大熊町の10年

富岡町の10年

Jヴィレッジの10年

中間貯蔵施設の10年