ひめゆりの塔

めゆりの塔は、沖縄戦で従軍看護婦として犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の遺骨を祀った慰霊塔で、最後の看護活動をしていた場所に建てられています。ひめゆり学徒は沖縄師範学校女子部と第一高等女学校の生徒で構成されていました。


ひめゆりの塔

軍の攻撃が勢いを増し、南へ南へと移動してきたひめゆり学徒に、1945年(昭和20年)6月18日、軍から解散命令が下されました。しかし、その翌日、壕から脱出する直前に米軍のガス弾が打ち込まれ、兵士や学徒の多くが死亡しました。

ずかの生還者も、さらに荒崎海岸に追い込まれ自決しました。この戦争で「ひめゆり部隊」の194人が犠牲になりました。


縄戦での日本側の死者・行方不明者はおよそ18万8千人、アメリカ軍側の死者・行方不明者はおよそ1万3千人で、20万人をこえる尊い命が奪われました。一般住民の戦死者は10万人近いとされ、民間人を巻き込んだ悲惨な地上戦でした。