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12 jurymen
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きょうは番組編成の関係で、『ゴジてれChu!』は第2部からのスタート。いつもは正午の打合せに始まり、ヘアメイクや頂いたメール・ファクスのチェックやリハーサルや準備などで一気に本番になだれこんでしまうのだが、きょうの午後は少し余裕がある。
という事で、久しぶりにブログを更新してみた。先日面白くて、でもちょっと考えさせられる映画を見たからである。
『12人の怒れる男』。半世紀前にアメリカで制作された方はまだ見ていない。私が見たのは、時代設定を冬の現在のロシアに置き換えた作品の方である。
12人の陪審員が、ほぼ有罪で確定しそうな裁判の評決を出す事になった。案件は養父殺し。外と連絡が取れないよう携帯電話を取り上げられ、一つの部屋の中で評決を下す事を求められる。全会一致が条件。すぐに「有罪」との評決が下されるかと思いきや…、有罪である事を徹底して確かめようとすればするほど、疑問、陪審員の常識、偏見、過去がぶつかり、炙り出され、冬のロシアの一室が熱くなる。
この映画を見ると今のロシアが垣間見え、同時に自分がロシアの現状について無知である事を認識させられる。被告がチェチェン人という事で、チェチェン紛争という歴史的事実を背景に様々な事情が複雑に絡みあって、12人の怒りは益々深くなる。本当は事件と向き合っている筈なのに、いつの間にか人間という存在、自分そのものと向き合わざるを得ない状況になる。そして怒りの方向は…
「これで全会一致か」と観客の誰もが思う瞬間、再び「これで良いのか?」という疑問が提示され…まるで映画館に座っている自分も陪審員と一緒の部屋に閉じ込められているような感覚になり、最後まで緊張の解けない映画だ。
人の罪を裁くという事は、有罪であれ無罪であれ、法と社会と自分とに向き合う事なのだ。いや、法と被告とに向きあう事が、社会や自分と向き合う事を求めるものなのかも知れない。私は裁判員の候補にはならなかった。しかし裁判員になるという事はこれほど重いものなのか。でもこの重圧を支えてはじめて、法治国家は成り立つのだ。




