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アナウンサー日記

感想・メール

2020.02.20with a camera in Motomiya City 1

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JR本宮駅前の「ふれあい通り」。駅近くの通りには色々名前がついている。

 『ゴジてれChu!』木曜恒例の「ぶらカメ」のコーナー、今週分は私が本宮市に伺いました。その取材&こぼれ話をお伝えします。

 JR本宮駅前から出発しようとすると、駅前に銅像と碑のようなものが…。

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伊藤久男さんの銅像。像下のボタンを押すと、曲が流れて来る。

 本宮市出身の歌手、伊藤久男さん(紫綬褒章・勲四等旭日小受章を受章)の像です。ボタンが3つ並んでいます。気になった一番上のボタンをぽちっとな、と押してみると…
 イントロに続き、張りのある(結構大音量な)歌声が流れてきます。曲名は『イヨマンテの夜』。なぜこのボタンを押したのかと言えば、確か魔夜峰央さんの漫画『パタリロ』に出て来たような…、それで聞いてみたくなったのです。作曲は福島市が生んだ名作曲家、古関裕而さん。でも普通に初めてボタンを押すなら、『栄冠は君に輝く』でしょうね。マニアックな好みが先行してしまいました(^^;
 この駅前の通りの名は、「駅前ふれあい通り」。朝9時からふれあいが生まれるかしら、と歩いていくと、

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パステルカラーの素敵な外観のお店が!

何やら駅前にお洒落なお店を発見!お店の人がパステルカラーのベンチを店先に並べています。
 声を掛けると、お花屋さんでした。ご主人曰く、
「ベンチじゃなくて、花を置く台なんです。」
 ロケの趣旨を話すと、快く撮影をさせて下さいました。

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お洒落な内装に、間接照明も現代風。

 店内に入ると、外装から浮かぶイメージに違わぬ雰囲気。壁や天井は手塗りの凹凸があり、間接照明やインテリアにも凝っていて、内装もお洒落です。

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センスを感じます。

 単に花が並んでいるだけでなく、こんな風に花を飾ってみては如何ですか、という提案を形にしたようなお店です。
「いや、これは全部妻のセンスです。」
と仰るご主人は3代目。奥様は、花の配達中で不在との事。

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ご主人が市場で選んできた花とともに…。甘い香りが漂う。

「サラリーマンになりたいとは当時思わなくて、何となく家業を継ごうかな、と思ったんです。」
 ご主人のおじい様が戦死され、店はおばあ様が始めたそうです。
「十数年前にここに移転したんです。前の店も駅前は駅前だったんですけどね。」

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店の上部。凝っています。

 その時に、店のデザインも今のものに。
「ちょっぴりガウディっぽさを採り入れて…。」
 なるほど、それでお洒落なんですね。同業者からは
「場違いだ。」
なんて冗談を言われた事もあるそうで…。

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ご主人お勧めの花。「スイートピーと言ったら、松田聖子さんですよね。」とはご主人の言葉。頷く私。

 ロケ当日(2月15日)お勧めの花を聞くと、春の花を紹介してもらいました。暖冬の影響を聞くと、
「春の花の出荷量が、この時期にしては多いですね。本当に必要な時期に足りるのか、ちょっと心配です。」

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黄色の鮮烈さと、白を挟んで淡いピンクのコントラストが素敵だ。

 ミモザアカシア、バラ、桜もありますね。甘い香りは、この花束から香ってきていました。ご主人は花の勉強は、「店で働くようになってから少しずつ」していったそうです。花屋さんをやっていて良かったなと思う時を聞くと、
「それは、自分が好いなと思って仕入れて来た花が売れた時が、一番嬉しいですね。」
と仰います。

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時計もお洒落です。

 突然のお邪魔にも関わらず、色々お話しくださいました。御礼を言って外に出てみると、あれ?こんな所に看板ですか?

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入口右側には、ステンドグラス風の看板が…。

「そうなんですよ。アカシアの仲間の植物を飾っていたら、大きく育っちゃって看板が隠れちゃっているんです。」
 この植物は、春と秋に2回花をつけるそうです。
「下の模様は、『松』なんです。上にはスペイン語で『フロリステリア』、お花屋さんって書いてあるんです。」
 入口右側に、お洒落な看板がかくれんぼしています。そう言えば、お店の名前を聞いていませんでした。
「『小松生花店』です。」

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小松生花店の名は掲げられていないが、店そのものが看板だ。

 …JR本宮駅前の「フロリステリア」、小松生花店です。この建物自体が「看板」ですね。お休みを聞くと、
「休みは無いです。貧乏暇なしで…。」
 後半の冗談はともかく、花のプレゼントを思い立ったら、日を選ばず本宮駅前に行ってみると好いかも知れません。

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「南の本陣通り」を折れる或る路地の奥に、有名な映画館が!

 小松生花店を後にし、駅を背にそのまま進むと、メーンストリート「南の本陣通り」に出ます。右に折れて暫く歩いていると、路地奥に、県内のニュースでは何度も放送されている、昔ながらの映画館が見えました。「本宮映画劇場」です。
「嗚呼、ここだったのか。」
と思わず声が出ます。
 その路地を進んでだいぶ劇場が近くなったところで、呼び止められます。
「テレビに出てる人でしょ?良かったら、中を見ていくかい?」

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こちらが本宮映画劇場。歴史を感じる外観だ。3階左の窓の「106」とは…

 声を掛けてくれたのは、劇場を管理・維持する田村修司さん。福島県内の人は一度はニュースで目にした事のある方です。お言葉に甘えると、入口にぐるぐる巻きにしてある鎖にかかった南京錠に鍵を差し込み、じゃらじゃらと鎖を解いて、中へ案内してくれました。名刺を頂戴すると
「裏を見てごらん。」

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昔の劇場。2階の外に人が立っている。

 完成した頃の劇場の写真が、印刷されていました。
 創立は大正3年(1914年)。3階建てで、当時は2階の部分にベランダのような部分があったのも分かります。ちょうど今年で106年…、あ、それで3階の窓に106と出していたのですね。

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劇場を維持管理している田村さん。映画の話が止まらない。

「どうぞ、中へ。」
 1階席は、椅子が並んでいます。階段は無く、緩い傾斜がついていて、椅子は背もたれが板、座席はばね入りの懐かしいものです。
「昔の映画のポスターは、タイトルが赤い文字のものが多いんです。」
 間が空くのを惜しむかのように、田村さんの口からは映画の歴史の蘊蓄が溢れてきます。

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銀幕を背に見た劇場内。

「昔はここに三波春夫さん(『世界の国からこんにちは』等が有名。紫綬褒章・勲四等旭日小受章を受章)が来てくれたんですよ。あの人はシベリア抑留の後、福島県にいた事があったんです。まだ南篠文若(なんじょう・ふみわか)と名乗っていた頃ですね。村田英雄さんや春日八郎さんも来てくれました。でも美空ひばりさんは来てもらえなかった…。」
 まさに娯楽の殿堂だった事が伺えます。
「いまは2階・3階は閉めちゃったので板が張ってありますが、上の所までお客さんがびっしりでしたよ。昔の写真を見ますか?」

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映写室に残る、昔の劇場内。2階・3階もびっしりだ。

 3階までびっしり、立錐の余地もないほどお客さんで埋まっています。
「梅沢富美男さんのお父さんの劇団も、ここで公演をしたんですよ。芝居も出来るように、壇上には回り舞台があるんですよ。震災で(回り舞台が)沈んじゃったんだけど。」

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銀幕前、舞台の左側半分。回り舞台が震災の影響で沈んでいた。

 銀幕の下には、円形状に舞台が沈んでいました。当時は上下に動きもしたそうです。
「劇が出来るように、幕の上にも人が入れるんですよ。」

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舞台頭上を望む。足場があり、人が上がれるようになっている。

 天井の下には人が通れる足場が組んであり、花吹雪などを上から散らす事も出来ました。
「午後から見学があるっていうんで、きょう用意していたんですよ。映像を見ていきます?5分位だけど。」
 これは期待できます。しかも美空ひばりさんも出ているそう。
「ただ映写機は、寒いと温まるまで時間がかかるんで、きょうはこれで…。」

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令和に、昭和のフィルム映像が、何とDVDで、大正生まれの劇場に!

 何と、DVDの投影でした。大正生まれの劇場に、DVDの再生動画がかかる妙…。これは令和にお邪魔したからこその組み合わせではないでしょうか。
 上映が終わった後、田村さんは映写室へと案内してくださいました。
(2月19日分のブログにつづく)

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2020.02.19with a camera in Motomiya City 2

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レトロな看板も、昔の町の映画館を感じさせる。

(2月20日のブログの続きです。)
 今年で創立106年を迎えた本宮映画劇場にお邪魔した私達、劇場を管理する田村さんは、映写室へと案内してくださいました。

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現役の映写機。中にはカーボンをセットして映写。田村さんが持っているのは、カーボンの次に出たランプ。

「これが映写機です。」
 現役のフィルムの映写機です。
「昔の映写機は、後にランプに替わりましたけど、最初は中にカーボンがあったんですよ。直流の電気を流して、マイナスのカーボンとプラスのカーボンを2本向かい合わせて少し離しておくと、明るく光るんです。それで映写出来るんです。ただカーボンは使うと『減って』いき、離れると光らないのです。そこで距離が離れすぎないようモーターでカーボン同士の距離を調整する仕組みです。これより前の機械は、カーボンを好い距離に保つため、減ったカーボンを上映中に時々人の手で近づけてやらないといけない。だから3人位映写技師が必要だったんですよ。」

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映写機の傍には、燃え尽きたカーボンを捨てられるようになっている。

 燃え尽きたカーボンを捨てる場所が、映写機の脇にあります。
「フィルムが走っている時は大丈夫なんだけど、フィルムがかかっていないと、カーボンは発火するんですよ。」
 フィルムを切らさないように、カーボンを常に一定の間隔に保ちながら、という技師の舞台裏の苦労が伺えます。

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別室にある、交流を直流に変える機械。中を見ても…素人にはちんぷんかんぷんだ。

「カーボンは直流の電流が必要だから、当時は交流を直流に変えなきゃいけなかった。」
 そう言って、田村さんは別の部屋に案内してくれました。
「この機械が、交流の電気を直流に変えるの。200ボルトの電流を直流にする機械です。」
 中を開けて見せて下さいました。

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メーターの下のダイヤル状のものを回して、映写機の「明るさ」を調節した。

「このダイヤルみたいのは何ですか?」
 私が尋ねると、田村さんは
「これは、明るさを調節するところ。私はここ位の位置に合わせた明るさが綺麗だと思ってやっていました。」
とYの字状の左の斜線部分が縦位置になる位、およそ45度位を捻って見せて下さいます。
「2つあるのはどうしてですか?」
と聞くと、
「だって映写機が2つあるから。」
 …昭和世代の映画館を知っている私としては、愚問でした。当時は映写機が2つあって、一定時間ごとに映写機を交換しながら長編映画を上映していました。フィルムには長さの限界がありますから、例えば左の映写機で15分から20分位のフィルムを流すと、「そろそろ次のフィルムに行ってください」というマークが画面に出て来るのです。そのタイミングを見計らって、右の映写機でフィルムを流し、そのフィルムの終わりが来ると、左の映写機には次のフィルムを掛け終えていて、タイミングを見て左の映写機のフィルムを走らせる、その間に右の映写機のフィルムを差し替えて…とやっていけば、どんな長編映画も上映できるという訳です。そう言えば昔は、その切り替えが巧くいかず、一瞬ですが画面が2種類重なったり、ひどい時は真っ暗になった時間が何十秒も続いたり、なんて事も、たまにですがありました。

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後部座席には座布団が…。

 そんな昔の思い出からふと、
「そう言えば、昔は映画の本編の上映前に、ニュースを流していた事もありましたよね。」
と伺うと、田村さんは映写室にあるフィルムの缶を見せてくれました。

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今も残る当時のニュースフィルム。

「これは郡山市の開成山公園まで、国道49号が通った時のニュースフィルム。」
 まだテレビが一家に一台となる前は、映画館で流れるニュース映像が、貴重なニュース動画だった時代がありました。私の幼少期はほぼ一家に一台カラーテレビでしたが、その時期でもニュースを映画館で観た記憶があります。
「当時は、新聞社がニュース映画の為にポスターまで作った位ですから。」

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ニュース映画を宣伝する当時のポスター。犬の放し飼いはいけません。

 劇場入口裏には、当時のニュース映画上映予告ポスターが貼ってありました。
 そんな映画の歴史の玉手箱のような劇場も、去年秋の台風19号で浸水被害に遭いました。映写室は床から1段高くなっていますが、その境目位まで水が来たそうです。劇場はそれでもまだ被害は少なかったそうですが、実は近くの作業場が、もっと浸水被害がひどかったそうです。
「フィルムをこっちに残しておけば良かったんですけど、作業場に置いてあったので、水に浸っちゃったんです。」
 田村さんのご好意で、我々は作業場も案内して頂く事に。

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浸水したフィルム。「恐らく、これは駄目でしょうね…。」

「浸水したフィルムは、こんな風になっちゃうんですよ。」
 浸水被害に遭ったフィルムの一つを見せて下さいました。阿武隈川沿いにある作業場には、約300本のフィルムが保管されていたそうですが、被害に遭ったのはその内の約200本。

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「こうやってフィルムを掛けて水を拭きとるんです。」と教えて下さった。

「泥がついてますから、フィルムに水をかけて泥をとるんです。その後に、フィルムについている水を拭きとります。」
 これを一本一本やっていくのだと言います。
 実は田村さん、この作業場から我々のロケ風景が見えたので、声を掛けて下さったそうです。

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作業場に残る、氷水を運ぶ「おかもち」。中が2段になっていて、4個運べたと言う。

 作業場は結構広いのですが、
「昔は映画だけでは生活が厳しいから、ここで肉と、カップに入れた氷水(今でいう、かき氷をカップ詰めしたアイス商品的なもの)を売っていたんです。近所の人にその入れ物に入れて、売り歩いたんですよ。で、店をたたんだ後は、ここをスーパーの売り場として貸していたんです。劇場を閉めていた時期は、車の販売とこの賃料で生計を立てていました。」

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初代の映写機。

 映画人気が下火になった昭和38年に、一度本宮映画劇場は閉館しています。
 田村さんはサラリーマンとして自動車販売をしていた時期がありました。
「当時は車が売れました~。給料とは別に、売れた分だけ給料以上の報奨金を貰っていましたから。というのも、昔は道路が悪いでしょ。だから車のスプリングが今よりずっと早く駄目になったんですよ。今は車の性能も道路も良くなったので、買い替える間隔が長くなりましたよね。」
 こうして映画館復活の機を待ち、満を持して平成20年、再開館したのです。

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震災を乗り越え、台風被害から立ち上がる。復興の上映会を企画している。

「今度ね、上映会を開くんですよ。入場無料でね。」
 そこには「水害から半年」の文字が…。
「震災も生き抜いた映画館が、台風からも復興ですよ!」
 言葉に力がこもります。本宮を映画で元気にしたい…、そんな気持ちの伝わる催しです。6月に上映を予定しているそうです。
 作業場の撮影も終わり、
「では一旦午後の見学まで、映画館を閉めてきます。」
と田村さんが立ち上がったところ、作業場の奥から一人の女性が出てきました。娘の優子さんです。

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娘の優子さんと。2階より上は桟敷だと教えて下さった。

 今は東京暮らしですが、本宮が好きで月に1回程度戻ってくるのだそうです。
「子供の頃は、劇場が遊び場でした。」
と話す優子さん。
「2階・3階に探検に行ったり…。上は桟敷なんです。」
 椅子席では無いんですね。なるほど~。建物の色も昔と変わらないのでしょうか?

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優子さんの記憶では、昔の劇場の色は、庇の下のベージュっぽい色だったと言う。

「あれ?あんなに赤っぽくなかったような…。あの上の方、屋根の下の部分がベージュっぽいですよね。確か全体としてはあんな色だったような気がします。」
 塗り直しの時に、色が少し変わったのでしょうか。屋根の下の外壁だけ色が違っています。記憶に残る昔の劇場の色は、ベージュの方が近いようです。
 そんな優子さんはお父さんの影響もあって映画が好きで、今でも東京にいる古い映写機を扱う方々との交流を続けています。

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優子さんの知人も、劇場の為にフィルム復活に一肌脱いでくれている。

「実はその方々も、フィルムの洗浄を手伝って下さっているんです。台風の時、何も出来なかったから、と仰って…。」
 映画仲間の助力もあって、浸水した約200本のフィルムは漸く復活の日を迎えます。修司さんに映画に関わり続けている娘さんの存在について伺いますが、あまり答がありません。嬉しいけれど、言葉に出すのが気恥ずかしいのでしょうね。優子さんがこの日の内に東京に帰るという事だったので、親子の2ショットを劇場前で撮らせて頂く事にして、皆で劇場に向かうと、4人の若者とすれ違います。

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午後見学をする皆さん。彼らはカーボンの光で映画を観た筈だ。

「あ、こんにちは~。」
 すると修司さんが、
「こちらです、午後の見学に来るのは。」
 偶然、午後の見学まで本宮歩きを楽しんでいるところに出くわしました。その内の1人は本宮駅前の店紹介マップ作りなど、本宮を盛り上げる活動もしているのだそうで、修司さんともお知り合いのよう。
「カツ丼の美味しいお店もありますし、カフェもありますし、あのお寿司屋さんは土曜日もランチやっていたかも…、色々ありますので是非立ち寄ってください。」
と声をかけて頂きました。

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昔は提灯も、映画の宣伝道具の一つだったようだ。

 若人4人衆も、きっと足で稼いだ情報の中から美味しい一軒に立ち寄って、劇場の見学に来る事でしょう。中には大阪から来た方もいました。福島県の本宮の魅力を、一つでも多く知ってもらいたいと願うのでした。
(2月18日分のブログにつづく)

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2020.02.18with a camera in Motomiya City 3

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劇場に残るお手洗い。昔の実家のお手洗い(の入口)を思い出す。

(2月20日・19日のブログの続きです。)
 築106年、震災にも台風19号にも耐えて残って来た本宮映画劇場を後にして、また別の路地を入ると、風情のある佇まいの所があります。

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本宮市の酒蔵「大天狗酒造」。昔ながらの佇まいを残す。

 本宮方式映画『秋桜』の舞台の一つにもなった酒蔵、明治5年創業の大天狗酒造です。
 本宮方式とは、地元の人が資金を集めるなどして地元で映画を作る取り組みを指し、嘗ては50年以上前に『心の山脈(やまなみ)』が、20年以上前には『秋桜』がここ本宮市(旧本宮町)で作られています。
 酒蔵のお店の方に、突然お邪魔しました。対応して下さったのは、伊東滋敏さん。大天狗酒造の四代目です。

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四代目の伊藤さん。昼食時にも関わらず、笑顔で取材に応じて頂いた。

 今年度は台風19号の影響で、仕込みが1か月遅れています。しかも暖冬の影響もあるようで、
「わざと温度を低くするなどしています。低温で発酵に時間をかけた方が、じっくり熟成して美味しいお酒になるので。」
 そして酒米を集めるのにも苦労をしたそうです。
「やはり浸水で、近くの水田は被害を受けました。ほかの水田など県内いろいろ集めて、何とか仕込みが出来た状態です。」
 不躾ながら蔵の中の撮影をお願いすると、快く了解してくださいました。

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浸水した器械。酒造りが忙しく、撤去に至っていない。

 入るともう、酒の甘い好い香りがしてきます。
 こちらは熱を加える器械ですが、
「下のボイラー部分が浸水して駄目になっちゃったんです。膝位まで水が来ました。ただまだ酒造りに忙しい時期ですので、処分は後回しにしています。あと瓶詰用の器械もお借りしてきている状態です。」

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発酵中。こうして酒へと変わっていく。

 奥には発酵させている段階のものが。ぷつぷつと穴があいているのも見られ、発酵が順調に進んでいるのが分かります。

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もろみを絞っているところ。

 またお酒を絞っている段階のものもあります。
「最初は(もろみの)自分の重さで絞れていくんですね。その後に、圧をかけてやります。」

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圧をかけて絞られ、細い濁り酒の「糸」が落ちて、軽やかな音を響かせている。

 これはまだ濾していないので、濁り酒状態です。「粗絞り」などと呼ばれる事も。この、絞られてちょろちょろ流れ落ちる音も、何とも素敵です。

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震災も耐えた煙突。地域交流センターのビルとの対比が今っぽい。

 また昔米を蒸す等した釜に繋がっていたのでしょう、煙突も残っています。この煙突が、映画『秋桜』の中で私の印象に強く残っているのです。
「震災でレンガなどは崩れたところはありますが、残りましたね。」
 ビルを背景に、今も煙突は本宮の空に聳えています。因みに上に見える「や二」は屋号で、
「(酒蔵は)弥次エ門(やじえもん)さんが造ったそうで、その頭文字の『や』と、次エ門の『次』の音から『二』としたと聞いています。」
 蔵直売の店では、所謂伝統の味の「大天狗」ラベルが並んでいます。ディレクターが、「新しい商品はありますか」と尋ねると

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卯酒「花見卯(はなみうさぎ)」(春バージョン)。かわいい…。

 奥から出してきて下さったのが、「卯酒(うさけ)」という商品です。
「この1つ前の冬バージョンは売り切れで、桜の花びらが舞う春バージョンはこれからなんです。これ、娘が造ったんですよ。フルーティーな香りがします。」

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卯酒を造った杜氏の小針さん。本人は「まだ五代目では…」と謙遜。

 こちらが(未来の)五代目、小針沙織さん。杜氏でもあります。
「大天狗自体は辛口なので、女性や初心者でも飲みやすいものをと造ったお酒で、3年前に初めて造った時は、それきりで終わりにしようと思っていました。でも評判が良かったので、お客様のご意見も聞きながら、2年前から季節商品にして、四季に合わせて少しずつ味わいを変えてシリーズ化したんです。」

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これが「卯酒」の四季のバージョン。

 こちらがその4バージョン。眩しい緑に入道雲が浮かぶ夏、名月が空に浮かぶ紅葉の秋、安達太良連峰が雪を被り冴えわたる空の青が強烈な印象を放つ冬がある。
「私が卯年生まれなんです。しかも夢占いではウサギは幸福を運んでくると言われています。それで安達太良の山が見える所にウサギをデザインしてもらって造りました。」
 大天狗の酒は代々基本辛口ですが、小針さんの造る「卯酒」は、「少し円やかな甘み、フルーティーに」仕上げたそう。味わいを変えるには、仕込む時間を長くするなど工夫をしています。

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造り手手ずから注いで下さった。

「(この春バージョンは)お花見に持って行っても良いような味わいにしています。常温か、冷が良いでしょうね。」
 店内には利き酒用のテーブル・椅子・御猪口も用意されています。造った小針さんご本人にお注ぎ頂き、試飲です。
 …大天狗本来の辛口の良さはそのままに、軽やかな甘さ、後味のすっきりさがあり、香りも豊かです。
 瓶の裏のラベルには、こんなメッセージが書いてあります。

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フルーティーな香りも楽しめる。撮影では三杯ほど…(勿論、1本買った上で、ですよ)

優しい香りの素は原料米“ユメノカオリ”
usakeを飲んだら、夢の中のウサギが
幸せを運んでくれるかも

 五代目の想いをそのまま表現したメッセージです。
「原料米が『福島県産夢の香』で、酵母も『うつくしま夢酵母』、福島県オリジナルの酒米・酵母を使っているという意味でも福島のお酒なんです。」
 四合瓶で1シーズン400本程を造ります。これがシーズン内で売り切れる量だと言います。
 伝統を守りながらも、時代のニーズに合ったバリエーションにも取り組む娘の頑張りに、四代目は

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一瞬父親の顔を見せた四代目。

「嬉しいですねぇ。」
とカメラの前で破顔一笑。
 蔵元では冬バージョンは売り切れたそうですが、酒屋さんの在庫にあれば手に入る可能性もあるそうです。

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親子で記念撮影。大天狗の酒は、確実に受け継がれていく…。

 実はこちらの小針さんが、先程劇場見学に来ていた一人とマップ作りをしているのだとか。今は紙ベースのマップを作る段階に入っているそうで、どんなマップが出来るのか、そして個人的には夏バージョンの卯酒も気になります~♪

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安達太良連峰を、卯酒のラベルっぽく撮ってみる…

 今回は、花屋の奥様、映画劇場の娘さん、そして老舗酒蔵の娘さんと、女性のパワーを感じました。女性の才能を発揮できる場があり、同時に女性の需要にどう応えていけるのかが、商売に限らず、生活、文化面も含めて、一層求められているのが令和の時代の気がします。そんな事を、本宮市の取材を通じて感じました。

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みずいろ公園で出会った子ども達。元気元気。

 取材帰り時の話題を2つ。
 本宮市には、市外の人にも人気の「みずいろ公園」があります。晴れて暖かかったこの日も、郡山市から遊びに来ている親子がいました。お食事中にお邪魔したのですが、

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ポーズも決まっています。

カメラを向けると、おおはしゃぎ。

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カメラに近付く近付く…

 子ども達自らシャッターも切ってくれました。

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三世代で公園遊び。平和な休日の光景だ。

 滑り台などでたくさん遊んだそうです。三世代でお出かけ、好いですね~。

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阿武隈川が溢れ、対岸では堤防のかさ上げが行われている(白っぽい部分がそれ)。

 そして台風19号で水が溢れた阿武隈川に行くと、堤防の嵩を上げる工事が進んでいました。色の違う部分です。人の身長分位は、前より高くなりそうです。

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2月中旬にオオイヌノフグリ。暖冬の表れだろう。

 その堤防を造っている反対側の川岸には、流れたり倒れたりした木が残る一方、早くもオオイヌノフグリが咲き始めていました。自然の逞しさを感じると同時に、暖冬を実感します。例年、中通り(会津を除く内陸部。東北新幹線や東北自動車道が通っている地域とその周辺)でこの花を見るのは3月の気がします。
 そう言えば、先日のNHKとのコラボ企画で会津の金山町を取材した際も、杉林が明らかに花粉色を纏っていました。日本気象協会は、浜通り(太平洋側の市町村)で花粉は既に飛散し、中通りでも飛散し始めとの事。新型コロナウイルスにインフルエンザ、更にはスギ花粉と、2月は色んな要素が重なって余計に、私のマスク依存度は高まりそうです。

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2020.02.08a holiday

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「麺屋 信成」。店が郡山市堤に移った。

 きょうは休日。
 髪を切りに行き、お昼は私の好きな店の一つ、郡山市の「麺屋 信成(しんせい)」へ。富田町から堤へ移転してから行くのは初めて。
 通称コスモス通りを行くと、信号のない交差点に店の案内板が出ていて、その案内板の角を曲がるようにとある。初めて行くには、ナビがあった方が間違えにくいと思う。

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奥を横切る道路が「コスモス通り」。信成は、右手のビルの1階にある。

 開店が11時半からは変わらず、11時40分過ぎにつくと6台の駐車スペースの内5台が埋まっている(1台分空いていてラッキー)。中に入るとカウンターはほぼ満席で、奥の座敷を案内されたので、端に座らせてもらう。
 裏メニューも別で掲示されていて、「ワンタン鶏塩そば」も魅惑的。また以前も食べた「福島鶏白湯」も、久し振りに味わいたい気分が高まる。だがきょうは、ここのいわば王道のラーメン「信成の黒」とも言われる、「黒醤油」(830円)に煮卵(150円)をトッピングで注文。

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こちらが「黒醤油」(煮卵を追加)。

 そして登場!いやぁ黒い。そしてたっぷり載った葱の白が、好対照だ。

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色の印象ほど、塩味は濃くない。でもこく・深みは、色で推して知るべし。

 まずはスープから。…美味い!黒さは濃いが、決してしょっぱ過ぎず、色と同様深いこくがある。香りも好い。
 麺をすする。つるっつるの舌触りに、しっかりとした歯応えを生み出すこしがある。細めの分、スープの味わいが一層感じられる。

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チャーシューは2種盛りだ。

 チャーシューは2種類。豚の肩ロースともも肉の違う味わいが楽しめるのが嬉しい。よく煮込んであるからだろう、持ち上げる時に麺にひっかかったりすると、切れてしまう位の柔らかさだ。それでいて肉の味はしっかり味わえる。

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煮卵。色をご覧ください、味がしみしみです。

 煮卵の色の美しさよ…。この色味に違わぬ美味しさがある。スープより味が濃いので、埋もれることなく、トッピングとしてのプラスの味わいと存在感を示してくれる。
 ネギはほどよく熱が通った方が好きなので、スープに浸しておいて後半に味変素材として頂く。それでも葱の持つさっぱり感は失われず、黒いスープとの相性が良い。アクセントとしても効いている。
 ……最後まで、写真を撮る時以外はほぼ休みなく、一気に食べてしまった。

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ショーの最後の撮影タイム。ダルライザーはカウントダウンに合わせて1秒ずつポーズを変えるサービス。

 その後ショッピングモールへ行き、白河市のご当地ヒーロー、ダルライザーのショーを見る。そのショッピングモールで県南地域のPRイベントが行われていて、その一環で来たとの事。ショーと言っても県南の知識を増やしてもらおうというイベントで、白河市のしらかわん、泉崎村のいずみちゃん、鮫川村のゆうきくん、西郷村のニシゴーヌもステージに登場。ステージの段差に、上がるのに苦戦するアクシデントも。程なく全キャラが登壇した後は各市町村のクイズが出され、正解した子ども達には各市町村のキャラクターグッズがプレゼントされていた。だが余りの人気&正解者多数で、2問目でグッズ配布は終了していた。
 最後に希望する子どもとの記念撮影&キャラクターのみの撮影が行われ、イベントも無事終了!と思いきや、ダルライザーに見つかり、ステージ前に行く事に…。県南PRイベントだったが、しれっと映画『ライズ』が翌日中テレでテレビ初放送をPR。これで翌日の放送視聴に臨む気分が余計に高まった(私はダルライザーファンなのです)。

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外の天気コーナーはこんな感じで、緒方キャスターの代打を月・火務めます。

 その後郡山駅前に行き、冬物コートを一着購入。タワーレコード郡山店に行き、福島市出身シンガーソングライター片平里菜さんのインストアライブへ。開始10分前に着いたら、ちょうど音合わせで片平さんが登場したところ。ニューアルバムのリリースイベントだったが、「福島に帰ってきたら、どうしても歌いたくなりました。」とセットリストに無かった『Come Back Home』も披露。「オッ、オッ、オッオッオ~オ~オッ、…」とお客さんと一緒になって歌ってきた。片平さんが途中、別の曲の時に涙ながらに歌ったのは、歌詞に込めた想いが込み上げたからか、どこかの情景や記憶がよぎったからか。却って伝わるものがあり、こちらもぐっと来る。片平さんとは「風とロック」の芋野球でご一緒させて頂いているが、一方的に実況するばかりでお話をした事が無かった。でも今度片平さんと仕事でご一緒する機会があるので、とても楽しみ。心の繊細さ、素直さ、誠実さが伝わるライブを見られて、片平さんとの仕事に向けても気分が一気に上がった。

 家に帰って髪を染める。……耳周りが巧く染まらなかった。

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2020.02.07in collaboration with NHK

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NHK福島放送局へ…。県内他局のスタジオ出演は初めて。しかもNHK!

 2月3日のブログでもお伝えしたNHKとのコラボ企画、火曜日にはNHK福島放送局の後藤万里子キャスターが中テレに来て出演・リポートしてくれ、きょう7日(金)は私がNHKにお邪魔してきました♪今回はその2回放送分と事前ロケのこぼれ話です。

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聖火ランナーに選ばれた猪俣さん。前回のブログ、キャプションつけ忘れて御免なさい。

 今回取材したのは、会津の金山町(かねやままち)で40年以上マタギ(東北の山岳地帯で、昔ながらのしきたり・狩猟方法を守りながら、自然や命と向き合う狩猟者の事)をしている猪俣昭夫さん(69歳)です。普段は夕方の番組『ゴジてれChu!』でマタギとしての猪俣さんを取材していますが、今回は聖火ランナーに当選した人としての猪俣さんを取材しました。
 聖火ランナーに応募した理由は、或る想いがありました。
「マタギをやっていて、今まではイノシシやシカが山にはいなかったのに、近年出て来るようになったんです。これは周りの人が自然に関心を持たなくなって、それで自然が荒れてきているからだと思うんですね。日本全国、或いは世界の人に、自然にもっともっと関心を持ってもらいたいという想いで、応募したんです。」
 世界的には温暖化などが言われていますが、自然豊かな奥会津でも変化が起きていると、猪俣さんは感じているようです。

 当選した時の気持ちを聞くと、
「いやぁびっくりでしたね。この年齢なので、まさか当たるとは思わなかったんです。」
 当選はメールで来たそうで、そのメールを見せて頂くと、「皆さま如何お過ごしですか」と普通の文面を装いつつ暫く読み進めていくと「聖火ランナーに決まりました」と当選通知の文言が出てきます。しかもメールが届いたのが、12月25日。猪俣さんも
「クリスマスプレゼントをもらった。」
と嬉しそうな表情も見せていました。粋なタイミングで送られてくるものです。
 奥様・娘さん含め、ご家族も喜んでくれた一方、
「走れるか心配」
との声もあったそう。そこで猪俣さん、今では少しずつ練習を始めているそうです。どこで練習しているのか尋ねると、

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ここが猪俣さんの「人目を忍んだ」練習場所。

「家の前は車が通るでしょ?知っている人に見られるのが恥ずかしいから…。」
と、自宅からやや離れた、少し山に入った蕎麦畑を貫く一本道を選んでいます。
「ただいつもの年だと、この道は除雪もしないので入れないんです。でも今年は雪が少ないから、除雪は1回だけかな?なのに道には雪が無いんです。私はこれだけ雪が少ないのは初めて、また年上の80~90歳位の人に聞いたら、『過去に1度だけあった』と言うんですが、それ位珍しいです。」
 暖冬の影響は金山町も例外ではありません。
「しかも雪が積もると、道の周りの草は雪の重みで寝ちゃうんです。でも今年は雪が積もらないから、草でも萱でもまっすぐ伸びたままなんです。ここにイノシシとか出ても、姿が見えないので撃てないんです。」
 イノシシは足が短いので、雪が積もるといつも通る道を決め、雪を踏み固めて言わば冬の「けものみち」にして行き来をするようですが、今年はその必要も無いようです。

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畑で土が見えるのは、イノシシが植物の根を掘り起こした跡だという。

 蕎麦畑は、標高がやや高い所なので雪が或る程度覆っていますが、そこにはイノシシの足跡が残っています。
「今年は散歩しやすいみたいだね。土が見えている部分は、イノシシが掘り返した所です。」
 冬は土を掘り返して、アザキダイコン等の草の根を食べるのだそうです。
 そんなマタギらしい視点で今年の冬を紹介してもらいつつ、練習で走るところを撮影させて頂きました。走る前は
「山の中を歩くのとアスファルトの平らな所を走るのでは、使う筋肉が違うのかな?練習を始めたころは筋肉痛を起こしました。走りも遅いんですよ。」
と仰っていたのですが、実際に走ってもらうといや速い速い。ついていくのがやっとです。あっという間に、本番で走る距離の200mを駆け抜けます。これは本番も心配ありませんね。
 なお、走る区間が決まるのは今月中旬、聖火ランナーのユニホームは
「当日渡されるんです。『あとは靴と靴下を用意してください』と言われたので、買ったんですよ。」

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聖火ランナー用に買った白い靴・靴下。「安いやつですよ。」とご謙遜。

 今回は「白」と規定されているそうで、白のソックスとランニングシューズを用意してありました。ランニングシューズを買ったのは、「69年生きてきて初めて」だそうです。履き心地は「軽くてなかなか好い按配」だそうですが、靴の裏を含めて全く汚れていません。
「いや、まだルームランナーで走っているから」
と、外にはおろしていないそう。もしかしたらコースが決まった後の下見の時におろすのか、もしかするとリレー当日まで土をつけないのかもしれませんね。

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トーチキス中テレ案。マタギらしさは出ると思いますが…。

 準備万端ですが、「トーチキス」をどうするかはまだ思案中。トーチキスとは、聖火をトーチからトーチへ受け渡す事を指し、ランナーは思い思いのポーズをとれるそう。私は猟銃を構えた時のポーズを提案しましたが、果たしてどうなるでしょう?

 因みに猪俣さんは、56年前の東京五輪の事も覚えていて、当時は自宅のテレビで五輪を見ていたそうです。
「最後の聖火ランナーが、聖火台までかなり長い階段を登っていくんですね。そして台に着いて点火した瞬間ですね。あと、途中の聖火リレーも映ったのですが、ランナーの走りを見ようと沿道はすごい人垣なんです。でも聖火を灯すトーチから結構煙が出ていたんです。ですから遠くでランナーが見えなくても、煙が見えるので、ランナーがどの辺りにいるのか分かったんです。」
 これはやはり当時のテレビをじっくり見ていた人だからこその内容と視点です。

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NHK福島放送局の後藤キャスターと。明るくて本番に強い方でした。

 といった内容を、中テレとNHKで2回放送しました。火曜日に中テレに来て出演してくれたのが、NHK福島放送局の後藤キャスターです。後藤キャスターは福島生まれ福島育ち、一度も福島県外で暮らしたことが無い、生粋の福島っ子です。この方、かなり度胸が良い!本番前に、うちのディレクターから
「後藤さんもトーチキスのポーズを考えてみては如何ですか?」
と言われ、
「実は私、猪俣さんを取材した事があるんです、ヒメマス釣りで。一匹も釣れなかったんですけど…。」(この時の話はNHK福島放送局の後藤キャスターの、2018年8月14日のブログに書かれています。)
 何やらポーズが決まったようです。
「もう前に出たり、自由に動いて構いませんから。」
とディレクターも放送直前に水をむけたところ…後藤さん、本番では猪俣さんに「ヒメマス釣りポーズ」案を、しっかり席の前に出てプレゼンしていました。スタジオのフリートークも臨機応変に展開して頂いて、いやぁ楽しかった。私なんか、正直緊張してえずいていた位なのに…。小・中・高とバレーボールに打ち込んでいたという後藤キャスター、中学時代は全国の舞台も踏んでいるだけあって、やる時はやりますねぇ~。
 やっぱり生放送は、楽しくないといけません。一発勝負の面白さ、久し振りに後藤キャスターに堪能させて頂きました。

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NHK福島放送局『はまなかあいづTODAY』のスタジオで。高石キャスター(左)と芳賀アナウンサー。

 そして金曜日、今度は私がNHK福島放送局のスタジオへ。中テレのスタジオが郡山市にあるのに対し、NHKは福島市にスタジオがあります。
 びっくりしたのは、スタジオの違いです。中テレの場合は、基本的にカメラ1台につきカメラマンが1人ついて、カメラワーク(動き)等も結構あります(ニュースだけでなく第1部でサイコロを転がす等しますから、動かない訳にはいかないのです)。残り時間や指示を伝えるフロアディレクターというスタッフがいて、その指示に従って出演者は喋ります。
 ところがNHK福島放送局のスタジオは横長で、奥行きは余りありません。しかもカメラが無人!フロアディレクターも0人(不慣れな私の出演部分は、特別にスタッフがついて下さいましたが)。ではディレクターの指示はどう伝わるのかというと、イヤホンを通じて直接指示が行くのだそう。また残り時間はモニターの横にデジタル表示されていて、予定時刻通り進んでいるかどうかが秒単位で示されます。私は案の定少し長く喋り、次のコーナーに移った時には「延伸8秒」と真っ赤な文字で表示されていました((+_+))芳賀健太郎アナウンサー、高石桃子キャスター、御免なさい。でもお二人ともリハーサルから色々お気遣い頂き、本番はお互いリハーサルと違う事も話しながら、生放送の「生感」を楽しみながら伝える事が出来たと思っております。私の出演したNHKの『はまなかあいづTODAY』は放送が始まって間もなく15年、私がアナウンサーになって間もなく30年、番組の倍の長さでアナウンサーをしておりますが、あのNHKに、たまたま中継先で映り込むのではなく、出演者として出られる日が来るなんて…。アナウンサーを長くやっていて良かったなと、思えた日でした。と同時に、後藤キャスターが中テレに出演した際も、勝手が違う分相当緊張しただろうなぁと、お察しした次第(NHKでの放送後には、わざわざ挨拶に来て下さいました。その律義さも後藤さんの魅力です)。本当に良い経験になりました。

 中テレ・NHKをご覧頂いた皆さん、本当に有難う御座いました。


 更にその後は、折角福島まで来たので、中合福島で行われている「ズームイン!!サタデー 全国うまいもの博」の会場へ移動し、YouTubeの生配信に参加。どんな話が飛び出したかは、アーカイブで見られますので、是非そちらもご覧ください。

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アナウンサープロフィール

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